ソ連の科学は世界一?ソ連時代に開発されていたノートPC、ケータイ、電子レンジなど

ソ連時代に作られた電化製品、電子機器などを紹介します。

現在でも使われている多くの者の原型がすでにソ連時代に開発されていたそうです。

 

以下翻訳です。

ソ連時代のノートパソコン、電子レンジ、タブレット

Как выглядели ноутбук микроволновка планшет в СССР

 

 

現在の電気製品は一日で作られたわけではなく、多くの物の原型がソ連時代に存在していた。
そうなんですよ!
タブレットも携帯電話もノートパソコンも。
今のと見た目が少し違っていたけど。

ロシアの初めてのノートパソコンである“Электроника МС 1504″ は1991年に作られた。

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16bitのプロセッサ、 4,77-7,16MHz、640KBのメモリ、色は灰色の4つのグラデーション。重さは3.5キロくらいだった。
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電子レンジの原型は1941年に作られた。でも戦争の製品化は数10年遅くなり、生産が始まったのは1978年。
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でも普及しなかった。
まずは、台数が少なかったし、値段はかなり高く、350ルーブルくらいしていた。
(※給料の平均が200ルーブルだった時代)
 

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1957年、欧米ではまだ携帯電話のことをだれも考えてもいなかったころ、ソ連のエンジニアであるレオジード・クプリヤノフは初めてのラジオ電話を作った。
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最初は3キロくらいの重さだったが、小さくしても機能が残るよう改良した。
画面がなく、番号を小さいディスクで入れていた。
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コンピュータの開発も40年台に始まった。
研究所、大学、工場などで使われていた。

※ロシア語ではコンピュータではなくЭВМといってた。Электронная вычислительная машина。電気計算機のような意味。

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自宅用、パーソナルコンピューターは80年台に出てきた。
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90年台の子供が夢中になっていたエレクトロニカというゲーム機は1984年に生産し始めた。
任天堂のものを基として少し手を加えたものだ。
例えば、任天堂のゲーム機は狼ではなくミッキーマウスが卵を捕まえようとしている。
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70年台の頭に、カセットテープに録音されている音楽を再生できる機械を作り始めた。
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130ルーブルもしていたので90年台までは普及しなかった。
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狼のゲーム機を作っている工場で1988年に、“Электроника МК-90″ という小さなパソコンを作り始めた。
現在のタブレットの原型である。
画面はタッチパネルではなかったので、小さいキーボードを使って入力していた。
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機能的にはとても弱いものだったが。16Kbのメモリ、保存容量が32Kbだったが、3500ルーブルもした。もちろんめったに見ないようなものだった。
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CATAH
 俺のダーチャ(※郊外の別荘)にエレクトロニカの電子レンジがある。
 昔は高熱対応ガラスのお盆だったけど、ある日一番強いモードにしたら、
 そのお盆が溶けた。




Махаон
 >CATAH
  そうだね。
  だから欧米の人は、ロシア人のみんなの地下室に原子炉があると思ってるね。




Domrych
 エアコンは?
 友達が90年台の頭にトルクメニスタンからこんなの持ってきたけど、未だに動いている。
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BETEP
 MK-90持っていた。
 1989年に店で120ルーブルで買った。3500ルーブルは嘘だ!!
 ちなみにまったく役に立たないものだった。
 MK-71のほうがよかった、しかもソーラーだし。
 そういえば、思い出したけど、60年台に潜水艦の本体の部品にペンキを塗ったあと
 マイクロ波チャンバで乾かしていた。電子レンジの大きなバージョンみたいなもの。




RINAT163
 うちはエレクトロニカの電子レンジを持ってたけどより新しいものだった。
 大きかった。怖いほどうるさかった。
 ウランで動いている気がしていた。
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CATAH
 >RINAT163 
  画面とキーが付いているやつ?
  使うためにモードを設定して時間を押して動き始めるように
  「あたため」というボタンを押すもの?
  そういう奴ならさっきそれについて書いた。
  そうだね、確かにうるさい。
  俺はそういうのが郊外の家においてある。
 



RINAT163
 >CATAH
  それだ。
  私のは結局壊れたけど。でも買った時点で中古だったけど。
  90年台の半ば頃。俺も少し怖かった。
  いっきに1リットルの瓶を9本入れられた!!
  母親がつけものやジャムを作る時にそうやって消毒していた




Zhnets
 ありえない値段だったね。
 懐かしくも何もおもわない。見たことないから。




Dimmidrol
 ソ連で欧米より先に開発したものが国内でなんらかの理由で発達せず、
 欧米で発達したという話を何回も聞いたことある。
 その時代から外国の敵が邪魔していたってことなのか?




piston
 >Dimmidrol
  理由がなかったのでは?
  シリーズ化する必要がなかったでしょ。
  ラジカセを一つだけの型で作って、どうせ競争がないので10年間
  仕方なく同じものを買うだろうと。
  それに、ソ連の人は贅沢が要らないという考え方だったし。




BETEP
 >piston
  戦争関係の開発以外。
  戦争関係の分野では我々が地球一。
  そして戦争関係の開発が結局一般人向けの生産にもなる。




Бедросович
 >BETEP 
  結局って?どっちかというと、
  「とても遅れて」か「ならない」かだよ

 



Garrik
 作れたし、実際作ってたけど、高かったね!




AlexS32
 俺はプログラミング電卓で遊んでいた記憶がある。
 独特なものだけどとてもおもしろかった。




Махаон
 >AlexS32
  プログラミングの初経験。泣きそう。




usr80
 MK90は同級生の夢だった。
 でも買うために奨学金を1年間貯めなければいけなかった。
 大学にはこういうコンピューターが置いてあった。
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dimonforest
 B>cd dos
 B>dir

 

 なんかおかしいね。




as1214
 私の初めてのノートパソコンはMandaというものだった。
 スクリーンにそうかいてあった。2GBのハードディスクがすごいと思ってた。




idk
 ソ連のウォークマンは最低だった。
 カセットテープのテープを伸ばしたりグチャグチャにしたりしていた。
 うちのカセットテープを何個もあれでダメにしてしまった。




usr80
 Iskra 1030M Soviet IBM PC/XT compatible computer
 1989
 CPU: KP1810BM86 (i8086 clone), 4.77MHz
 RAM: 640 kB
 Display: color CGA compatible
 FDD: 1×720 kB
 HDD: 20 MB (Seagate ST-225 installed)
 OS: Alpha DOS (Russian OS, compatible with MSDOS 3.2), MS DOS, CP/M 86. 
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usr80
 80年台の学校のノートパソコン。
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TraderFX
 タブレットはこういう感じだった。
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Как выглядели ноутбук микроволновка планшет в СССР
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