先日、7月1日に東京カルチャーカルチャーで行われたソ連ナイトで紹介しました、ソ連サッカーにおけるフーリガンの話を記事用にまとめ直しました。
W杯期間中のイベントだからサッカーに関係する話を紹介しようと思い付き、ネタをいろいろ調べ資料を作っていたのですが…
それと同時にサッカーネタの記事を別サイトで書いたり、おそロシ庵でも紹介したりしたのですが、まあいつもに比べて反応が薄い薄い(笑)
世間はW杯って騒いでるけどやっぱりそんなにサッカー自体には興味が無いんだなと実感しながら、これは間違った題材選んだかもしれんと後悔しつつ資料が出来上がりました。
そうはいいつも、かなり面白い、興味深い内容のものが出来上がりましたのでサッカーに興味がない皆様もぜひご覧ください。
フーリガンはある種のサブカルチャー
フーリガンの発祥はイギリス。ソ連では70年代初頭にスパルタク・モスクワのファンたちが、アウェイに遠征することからサポーター文化が始まっていき、徐々にフーリガン化していった。70年代後半にはかなり大きな流れとなった。
このサポーター、フーリガンをKGBは批判していた。「反ソ連行為」とみなされていた。
つまり、政府からあまりいい目で見られていなかったサポーターは、サポーターであることがバレると学生なら退学、社会人であればクビになることもあった。
それでもスパルタクのサポーターたちは300~400人の団体で、遠く離れた地方の街までも遠征を続けた。
1980年代半ばごろにゴルバチョフが現れるとそのような規制はかなりゆるくなった。
そしてクラブチーム側もサポーターの応援がチームの力になることに気づき、アウェイ遠征のサポートをするようになる。
応援内容は最初は普通に声援を送るだけだったが、次第にイギリスの影響を受け、チャント(応援歌)が現れるようになり、それにつれて荒くなりフーリガン化していった。
そんなソ連のサポーター、フーリガン文化を題材とした子供向けのTV番組を紹介します。
まず、見る前の基本知識としてモスクワの3大チームを覚えてください。(もっといっぱいあるけどこの動画に出てくるのは3つ)
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FCスパルタク・モスクワロシアで最も過激なサポーターを有することで有名なチーム
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PFC CSKAモスクワチェスカは地上軍中央スポーツクラブの頭文字をとった名前
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FCディナモ・モスクワディナモは「綜合スポーツクラブ」を意味するが、秘密警察が運営を牛耳ったことにより秘密警察系のクラブへと転化され、戦後、旧東欧諸国でも秘密警察系クラブにはディナモの名がついた。以下はソ連時代はすべてソ連リーグに所属していたチーム・FCディナモ・キエフ(ウクライナ)・FCディナモ・トビリシ(ジョージア)・FCディナモ・ミンスク(ベラルーシ)
さらに、モスクワとは関係ないですが、FCパフタコール・タシュケント(ウズベキスタン)のチームが出ます。
ソ連時代、ウズベキスタンで唯一ソ連1部リーグに昇格したチームですが、最高順位は6位。
以上の知識を頭の片隅に入れ動画を御覧ください。
ちなみに流れる音楽はすべてソ連サッカー連盟のアンセム、フットボール・マーチのアレンジです。
チャンピオンはチェスカだ!
バーン!
チャンピオンはディナモ!
バーン!
ディナモがチャンピオン?どこのディナモだ?キエフか?トビリシか?モスクワか?まさかミンスク?(笑)
チャンピオンはチェスカでもディナモでもない!スパルタクだ!
バーン!
…???
パフタコール・タシュケントがチャンピオン
おしまい
この動画はまだかわいい争いですが、次は実際に起った大人たちの争いについて紹介します。
モスクワ連合VSディナモ・トビリシ
1953年9月4日
ディナモスタジアム(モスクワ)
FCトルペド・モスクワ対FCディナモ・トビリシの試合。
この試合でディナモ・トビリシが勝つと優勝はディナモ・トビリシ。トルペド・モスクワが勝つと優勝はスパルタク・モスクワ。このような状況で開催がモスクワだったため、スタジアムにはスパルタク・モスクワのファンも多く駆けつけていた。
つまり、サポーターはトルペド&スパルタクのモスクワ連合対ディナモ・トビリシといった構図。
当時の背景を説明すると、この年の3月5日にスターリンが亡くなっていた。スターリンはグルジア人。
試合はラフプレーが多く、審判のジャッジはグルジアのチームであるディナモ・トビリシを勝たせたがっているように見えた。
サポーター、特にモスクワ側のサポーターたちはとてもイライラしていた。
試合は2:1でディナモ・トビリシが勝利したが、試合終了のホイッスルと同時に数百人のサポーターが一斉にピッチに乱入し暴れまわった。危険を感じた両チームの選手と審判団は一斉に逃げ出した。
翌日の新聞には、「昨日の試合はディナモ・トビリシが勝利したが、不満を持ったトルペド・モスクワが試合結果に抗議した。」とだけ書かれ、サポーターの乱暴行為について書かれることはなかった。
ちなみに試合はやり直しになり、今度はトルペド・モスクワが4:1で勝利し、この年はスパルタク・モスクワがチャンピオンとなった。
レニングラードの乱
1957年5月14日
キーロフスタジアム(レニングラード)
FCゼニト・レニングラード対FCトルペド・モスクワの試合。
歴史的背景:
戦後、ソ連政府は国民からお金を借りていた。国に貸すのはソ連時代おきまりの、「自由意志的強制」。つまり、貸しても貸さなくてもいいけど…わかるよな?って感じです。
そして試合の一ヶ月前、政府は「借りていたお金の返済期限が近づいてきましたが、返済するのをあと20年伸ばします」と発表した。
そしてその数日後、「お金足りないからまた貸してね♡」と言い始めた。
もちろん国民は表には出さない(出せない)が、不満爆発だった。
そんな中での試合。試合も後半残すところあとわずか。ゼニトが1:5で負けていた。
そのとき!
観客席から一人のおっさんがゆっくりとフィールドまで降りてきて、お前みたいなザルにはまかせておけん、オレのほうがマシだとゼニトのGKをどかし、上着を脱いだおっさんはゴールマウスに立った。
観客は大爆笑だったが警備の警官も審判も気づかなかった。
終了数分前でようやく警官が気づき、おっさんの顔面を殴るなどしながら乱暴に逮捕。血を流し逮捕されたおっさんを見た観客達は、「おっさんを自由にしろ!」の大合唱。警官は「文句あるならお前らも逮捕するぞ!」と怒鳴り返した。
ここでお上に不満があった観客達は一斉にブチギレ、数百人がフィールドになだれ込んで警官を攻撃。警官は一目散に逃げ出した。もちろん選手たち審判たちも逃げ出し、暴れるフーリガンたちを残しスタジアムは閉鎖された。
閉じ込められたフーリガンたちはそのままスタジアムで大暴れ。チームバスを破壊したり、2階に飾られていた150kgはあるであろう壺を下まで落とすなどやりたい放題暴れまわった。もちろん怪我人も出た。
しかし、翌日の新聞には、「ゼニト・レニングラードがトルペド・モスクワに1:5で敗北。スタジアムにおける主催者側の不運営の不手際と、観客のマナーの悪さが脱試合だった」としか書かれなかった。
このように当時のフーリガンによる暴動は半ソ連行為にあたるため、公になることがほとんどなかったのです。
これは参考画像や動画が見つからなかった言い訳にもってこい
おまけ:ハーフタイムはティータイム
もう一つ大きなフーリガン的争いに1987年、キエフに遠征したスパルタクのサポが大喧嘩するという事件がありました。
当時の闘いの様子を探していると、スパルタクのチームに密着した映像が見つかりました。
乱闘の様子は映っていないのですが、代わりに面白いものが映っていました。
4:00あたりから注目
ハーフタイムのロッカールーム
作戦を伝える監督の横でサモワール(ロシア伝統の給湯器)から紅茶を入れるスタッフ
熱々の紅茶をすする選手たち
激しい運動中に温かいを通り越した、熱い飲み物を飲むという概念が今まで頭になかったのでとても驚きました。
これって珍しいですよね??