屋上に登ったり、タールを噛んだり・・ソ連時代の工事現場は子どもたちの遊び場だった!

 

ソ連時代の工事現場で遊んだロシア人の思い出を紹介します。

屋上登ったりはわかるけど、タールって口に入れても大丈夫なのかな??

 

以下翻訳です。

 

建設現場はソ連の子供の遊び場

Стройки — место для игр советских детей

 

 

全国でマンションを大量に建設していた。80年代の半ばごろに私の家族もちょうど新しい所に引っ越した。普通のマンションだった。小さい部屋で小さい台所とベランダ。当時はそれでもうれしかった。

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家の周りでは同じような建物を作っていた。工事現場の周りには何の壁もなかった。コンテナハウスがあったけど、現場も人も守っていたというわけではなかった。警備もいなかった。だから夜中に人が集まっていた。よく何か盗まれたりもした。ものすごく汚かった。

週末には人がいなくなり、私たちの時間になった。様々な年齢の子供が建設現場で遊んでいた。何かを探したり、かくれんぼしたり、探検したりした。マンションの屋根ができると屋上へ登るのが一番の楽しみだった。だれも止めなかった。両親も「だめだよ。」とは軽く言っていたけどほとんどコントロールしていなかった。だから近くの建設現場で遊びまくっていた。楽しいことがたくさんあった!

 

みんな必ず
LIPUCHKA
(※訳者注:おそらくパテのような物)を持っていた。何に使ってたかもう覚えていないけど。人によってガムのようにかんでた人もいた。家で掃除のために使っていた。

また、タールというものもあった。とても魅力的なものだった。最初はねばねばしていたがだんだん固くなっていく。タールに棒を入れたり棒に巻いたりして遊んでいた。

 

もう少し時代は進むとレンガのマンションを作り始めた。レンガの現場には警備がいた。壁も木の壁かコンクリートの壁があった。でも私たちはそれでも中に入れた。屋上に上って星空を見ていた。ちなみにレンガのマンションの屋上のほうが割と安全だった。

 

建設現場作業員のほかに兵隊も建設現場で仕事をしていた。町の郊外に基地があって、毎日そこから兵隊が来ていた。いろいろな民族の人がいた。そのとき初めてソ連の民族の多様性を自分の目で見た。ウズベク人、ブリャート人、コーカサスの人も。俺らがよく兵隊の近くによって、見つめたり、話したりした。時どき水を持ってくるようにお願いされていた。されたらバケツで水を運んであげて、彼らの地元の話を聞いていた。

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Медведь
そうそう、工事現場にいろんな宝があったね。

 いつもかくれんぼしていた。

 柵のないベランダに出るのも柵の無い階段を走るのも怖かったな。

 勇気を出してクレーン車の中に入れさせてと頼んでたね。

 

 


werjxrf
子供の頃そのLIPUCHKAをかむのが好きだった。

 匂いが強くて歯にくっついていた。

 家の近くで地下鉄駅を作ってたとき、

 その前をずっとなんかケーブルみたいなものをひいていて、

 そのケーブルの切り落としを集めていた。

 いろんな色のものがあって、それでアクセサリーを作るのがすごく流行っていた。

 

 


Антоха
とてもいいテーマだ!

 子供の頃ずっと工事現場で過ごしたよ。

 クレーン車、トラクター、油圧ショベルに登ったり遊んでた。

 それでそういう車に興味がわいて、俺の人生に大きな影響を与えた。
匂いもすごかった!
軽油、タール、土などなど。

 タールをガムのように噛んでいた。

 この間また噛んでみようかなと思ったけど、同じようなタールがもう見つからないんだよね。

 

 


kostofan
子供の頃を思い出したわ。

 コンクリートのボードの上走ったりジャンプしたり、屋上に上ったりして。

 自分の住んでいた街の下水道の図を今でも描けるよ。

 

 


Надежда
タールおいしかった!

 タールが現場に運ばれると会社は”損”していた。

 なぜかというと子供たちがそれを狙ってたから。

 Orbit(※ガムの商品名)が好きな人がいるかもしれないが、私はタールを食べたいな。

 

 

 

Иван Дураков
小さい部屋で小さい台所とベランダ。当時それでもうれしかった。
今と全然違うね。

  今ならだれでも大きな部屋をもらえるね。

 

 


Николай
家の近くの工事現場に粘土があった。

 それで雪合戦をやっていた。

 当たったら一発で勝ち。

 あと、十字架の形の薄い板を見つけて、サーベルを作ってた。

 ちょうど三銃士の映画が出たころで、真似して遊びに使ってた。

 

 


Янка
俺も自分の建設現場を今散歩しているけど、素晴らしいところだ。

 

 


Дина
タイルは?

 小さなものから大きなものまで。

 それを取りに行ってた。

 何のためでしょう。

 私たちにとって宝石だった。

 母がそれを使って台所の壁に絵を作った。

 サモワールとカップの絵。

 あと、コバルトガラスの取れるところもあったね。

 それを手に入れるのは夢だった。

 

 


Барух
1991年に起きた悲劇を思い出す。

 キエフで3人の男の子が工事現場で遊んでいて、

 のどが渇いたから置いてあった樽の水を飲んだ。

 3人とも死んじゃった。

 水になにか入っていたみたい。

 

 


Alex_02
俺らはガラスの玉を探していた。

 直径2センチくらいの玉で、大体透明なガラスだったが、

 ときどききれいな濃い青とか緑のもあった。

 みんなコレクションを作って誇りに思っていた。

 通貨として使っていた。

 色のある玉は価値が一番高かった。

 それを通して世界を見るのが楽しかった。

 透明な玉はレンズ(拡大鏡)として使った。

 あと、壊れたカメラのレンズもとても大事にしていた。

 

 


Мун
 そのLIPUCHKA
って何からできてた?

 昔それで服の掃除をしていた。

 今はもう全然みないけど。

 

 


Антон
おお、いいね!工事現場楽しかった!

 LIPUCHKA
は密閉剤だ。

 緑のと茶色いのあったね。
ライトを持って地下室の冒険も楽しかった。

 

 


Алексей Е.
工事現場!

 24階に歩いて登ったり、屋上を散歩したり、

 吹き矢として使った緑色のプラスチックパイプ、

 コンクリートの迷路の冒険、

 怒っている作業員から逃走・・・

 楽しかったな。

 

 

 

 

Стройки — место для игр советских детей

20th.su/2011/04/14/strojki-mesto-dlya-igr-sovetskix-detej/