ロシアで食べられている主なパンについて説明してある記事を紹介します。
なかなか日本では馴染みのないパンばかりです。
食べたい!!
それでは以下翻訳です。
7 главных русских хлебов
7種類のロシアパン
ルーシにおいて、パンは神聖な食べ物でした。
食卓でもパンは中心的な立場だ。なぜならばパンは「すべての頭」だからだ。
※ルーシ:「ロシア」が出来る前のロシアの呼び方
1.白パン
12世紀から作られ始めたパン。
長い間お金持ちしか食べることができなかった。
白パンの一番よいものは「粉っぽい」と表現されるもので、お金持ちの家でしか出されることがなかった。
一般の人々が毎日食べることができたのはライ麦パンであり、夕食時、その家の主人が自分で切っていた。
一般市民が白パンを食べることができたのは大きな行事時のみであった。
2. 黒パン(酸味のあるパン)
黒パンは白パンよりも古くから作られていた。
ロシア人の黒パンに対する考えがよく分かる面白いエピソードがある。
ロシア・トルコ戦争の時、ロシア軍はトルコに入った。
トルコにはライ麦がなかったので小麦粉からパンを作っていた。
しかし兵士たちはだんだんと病気になり始めた。
それだけロシア人は黒パンに慣れていたということ。
3. クラスノセルスキーパン(赤い村パン)
黒パンの一種。
最初は修道院で作られていた。
主な特徴は名前から分かる通りパンの色だ。
焼くと赤っぽくなる。
なぜ「村」が入っているかというと、修道士の次にこのパンを食べ始めたのが田舎の人達。
行事の時、村の人々が修道院に集まり子のパンを食べていた。
修道士が作ったこのパンはいつもとても柔らかく、皮が薄く、なんとも言えない香りだった。
そしてとても体に良く、日持ちしてお腹もいっぱいになるのだ。
4. イーストなしのパン
このパンも修道院で作られ始めたのが最初だ。
主な特徴は酸味がないこと。
そして長期間柔らかさを保つことである。
麦芽と粉を混ぜ作られたパンである。
ハーブも入っており、素晴らしい香りと味を作り出している。
5.ボロディンスキーパン
このパンの由来には3つの伝説がある。
- Staro-Brodinskij修道院の修道士が作ったパンである。
- 露仏戦争の時、食材を運んでいた馬車(粉、コリアンダー、クミンが運ばれていた)に弾丸があたり、それらが混ざった。
- 15世紀にすでに知られていた葬式のパンである。
6.モスクワボヤールスキーパン(ボヤーレとはモスクワの大貴族の事)
このパンは特別なものとされていた。
なので特別なときにしか食べることができなかった。
特別な注文でしか焼かれることはなかった。
特別に引いた粉、新鮮なバター、スパイスを入れて作られた。
もちろん高価なものなので貴族しか食べることができなかった。
7.スタロドゥブスキーパン(古い柏のパン)
お茶を飲みながらでも食べることのできるパン。
焼く直前に細長い形を作り、上にビールを塗る。
このパンは歴史上でも大きな役割を果たした。
クトゥゾフの軍がTarutinoと言う所で泊まった時、やる気を出すためにそこへこのパンを大量に送ってもらったという。
7 главных русских хлебов
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