ソビエト時代、ジーンズの類が手に入りづらかったそうで、手に入るとよりオシャレにしようと色々と試行錯誤をしていたそうです。
そんなジーンズを煮た思い出を紹介したいと思います。
以下翻訳です。
Как я варил джинсы
ジーンズを煮た話
灰色の人ごみで目立つように、なにか新しくて珍しい物がほしかったという時代があった。当時僕は16歳だった。自由の前兆を空気の中で感じるようになってきた頃だ。
16歳の時に僕は専門学校に通っていた。1987年のだった。人々は共産主義の明るい未来を相変わらず信じていて、僕は仲間と一緒に安いポートワインを飲みながら夜を過ごしていた。
ある日の晩、見たこともないような、とてもかっこいいズボンをはいている男の子を見た。すごく珍しくてとてもびっくりした。(今はかっこいいと思わないけど。)
その頃の僕は同じズボンを一年中はいていた。この日、「ジーンズ」というズボンが存在していることを知った。知ったからには、いくらかかっても絶対に買わなきゃ!と目標を決めた。が、どのくらいかかるか知る由もない・・・。なぜならば店で売っていない。売っているとしても専門学校の生徒にはとても買うことができあない。両親からは資本主義の国から来た物を買うお金はもらえないし。
結局いろいろ試行錯誤した結果、僕の切手のコレクションとジーンズを交換してくれる人を見つけた。でもそのジーンズはクラシックなもので、あの男の子のはいていたおしゃれなものではなかった。
そこでジーンズの煮る方法を細かく調べてその準備を始めた。
両親がダーチャ(郊外の別荘)に行き、家には誰もいなかった。僕は重曹とトイレ洗剤を買って、15リットルの鍋に水を入れ、さらに重曹と洗剤を加えて、ジーンズをくちゃぐちゃにして入れた。30分経つ頃に水は青くなり始めた。さらに30分待って、取り出し、酢の入った水にさらした。数回水を代えてさらして干した。7時間後には僕はジーンズを履いていた。夢がかなってすごくうれしかった。
マンションの有名人になった。本物の煮込みジーンズが作れたから!二ヶ月間くらいジーンズの正しい煮方のコンサルトになり相談に乗った。その代わりに切手やガムをもらっていた。そして何よりも名声を手に入れた。
以上のようななつかしい思い出が心の中に残っている。今ではよくあんなものを履いたな、よくそこまでして手に入れたなと思う。でも、いずれにせよ僕の過去であって思い出すことが楽しいものだ。ソ連のことを批判する人もいるが、僕にとってソ連は子供の頃、初めてのアルコール、初めての恋愛である。こういう素敵な思い出があるからこそソ連が好きでいつまでも忘れない。
※ちなみにこのようになるらしい。
Lala Zimov
おお、素晴らしい記事!
そうだね、ジーンズってすごくうれしいものだったね。
私も煮た淡い記憶がある。両親がユーゴスラビアから持ってきてくれた。
一緒に白い毛のついているジャケットも。当時人気だったな。
そう、ソ連は我々の母国だ!!!
Совок
俺らみんな煮たな。
そして煮込みジーンズを履いている灰色の人ごみになっていくと。:)
※灰色の人ごみ:ロシア語の表現で、特徴のない大勢の人々と言う意味。
werjxrf
輪の描いたTシャツは?
Tシャツを結んで、色のついた水に入れてしばらくしたら出して、
酢水で洗ってカッコいいTシャツ出来上がり。覚えている?
Ольга
なんで煮るの??色が変わるわけ?
DOKTOR
>
Ольга
いや、味がよくなるのさ。
Дина
私は軍用のパンツがすごくほしかった!
ジーンズは普通の青いの持ってた。
煮たデニムのスカートをバルト三国から両親が持ってきてくれた。
Сергей
Mowinのズボン覚えている?
※Mowin:当時の偽ジーンズ
あと、ChanelとかBenelltonと書かれたTシャツ。
私はシベリアに住んでいるけど、Benelltonはとくに人気だった。
市場で買えたけど、とても高かった。よく盗まれたりもした。
私も2回バーニャ(ロシア式サウナ)で盗まれた。
あと、若い人がそれを着て一人で歩いていたら昼間でも強盗に奪われていたって。
Alex_02
80年代にはジーンズが普通のものになってた。
現れたのは70年代で人を悪くしたと思う。特に若い人。
ジーンズを持っている人は持っていない人を見下していた。
持っていない人はコンプレックスになってすごくうらやましがってた。
なんでもして買おうとしてた。
俺はわざと、機会はあったけど買わなかった。
で、人気じゃなくなったときに買って、汚れる作業のときだけ使ってた。
例えば、部屋のリフォームの時に特に汚い粗大ごみを出すときとか。
あのクラシックなぴったりのジーンズはとても履きにくいと思う。
ジーンズって履き心地の良さのためのものではなく、かっこつけるためだ。
ARO
私はスニーカーを煮たことあった。
次亜塩素酸ナトリウムの漂白剤を少しずつつけて色を変えていた。
で、面倒くさくなってスニーカーを漂白剤の中に突っ込んだ。
1時間後思い出したが遅かった。
ゴムの靴底しか残っていなかった。
今は笑えるけどその時すごく悔しかった。
Юрий
僕は1988年あたり、おじいちゃんにポーランドから送ってもらった。
新しくて素敵で横に皮がついていて中国産じゃなかった。
でも1年間経ったら小さくなった。すごく残念だった。
Надежда
漂白剤、大きな鍋、開けた窓=煮込みジーンズ。
機会があって、店で「デニム」の生地を買って、煮て、スカートを作った。
意外と好評だったよ。
Как я варил джинсы
20th.su/2011/02/24/kak-ya-varil-dzhinsy/