ソ連時代のお菓子の包み紙のデザインが素晴らしい!お菓子の思い出とともに紹介します!!

ソビエト時代のお菓子の思い出と、当時のお菓子の包み紙を載せた記事を紹介します。

文章は思い出話がメインですが、載せてある包み紙のデザインがどれもステキです。


それでは以下翻訳です。




Сладкое, советское, новогоднее

甘い、ソ連の、お正月の



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子供のころ、お母さんはお菓子を長持ちさせたかったので美味しくないものを買っていた。弟は鋭かったのでそれに気づいていた。今でもソ連時代のお正月のプレゼントを覚えている。お正月のプレゼントのおかげで甘いものを食べる5カ年計画を数日間で達成できたのだ。


もちろん、パッケージの大きさは中の美味しいお菓子の数と無関係だった。ママの上司はいつも飴とみかん3個で袋をいっぱいにしてた。運のいい年には上にArtekが少し加えられた。


美味しいお菓子と美味しくないお菓子の割合はその時その時違っていたが、よくても1対5だった。つまり、飴5個の中にチョコのお菓子が1個だけ見つかる可能性があったのだ。


飴はあまり好きではなかったが、ほとんどどすぐ食べてしまっていた。


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Dyushes、Barbaris、Rachki、Gusinye Lapki等の飴は子供を虫歯にするための戦争に参加した。因みにこれらの飴はくっついた包み紙と一緒に食べなくてはならなかった。

その次に食べられてたのが「白黒で具入」というもので、Lastochka(ツバメ)、Romashka(カモミール)、Burevestnik(ミズナギドリ)、Morskie(海の)。


Ласточка Lastochka 「ツバメ」

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Морские Morskie 「海の」

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これらのお菓子を私と弟はお金代わり使っていた。小さいお使いを頼む時につかう通貨代わりだった。その時から両替レートの変りやすさを実感していた。例えば、Burevestnik1個で弟に夜中にクワス(黒パンから作られた飲み物)を入れてきてもらえる日もあれば、急に価値が下がり、さっきのBarbarisと同じくらいになり、カーテンを閉めてもらえない日もあった。

金準備は、Krasnaya Shapochka(赤頭巾)、Mishka Na Severe(北極の熊ちゃん)、Krasnyj Mak(赤いケシの花)、Bylina(ブィリーナ)、Gulliver(ガリヴァー)、Karakum(カラクム)、Ananasnye(パイナップルの)。Ananasnyeは毎回違う味で予想できないところがあった。時々とても酸っぱいのが当たってしまって、飴と同じ価値になっていた時もあった。弟と交換しようと思えば、それになにか付け加えないと交換してくれなかった。



Красная шапочка Krasnaya Shapochka 「赤頭巾」

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Мишка на севере Mishka Na Severe 「北極の熊ちゃん」

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Красный мак Krasnyj Mak 「赤いケシの花」

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Гулливер Gulliver 「ガリヴァー」

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Ананасные 
Ananasnye 「パイナップルの」

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「良い」とされたものは他にもあった。例えば、Skazki Pushkina(プーシキンの童話)は多少古くて白っぽくなっていても一瞬でなくなった。父がこれをコーヒーやお茶だけではなく、おかゆ、白パン、Pryanik(ジンジャーブレッドのようなもの)と一緒に食べていた。



※以下チョコの包み紙。


Шоколад “Жар-птица” Jar-Ptitsa 「火の鳥」

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Шоколад “Театральный” Teatralnij 「劇場」

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Шоколад “Цирк”. Tsirk 「サーカス」

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Шоколад “Дорожный” Dorojnij 「旅路の」

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Шоколад “Люкс” Lyuks 「リュックス」

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Шоколад “Аленка” Alyonka 「アリョンカ」

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Шоколад “Сказки Пушкина” Skazki Pushkina 「プーシキン童話」

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チョコとジンジャーブレッドは珍しかったので発売時はかなりの注目を浴びていた。
プレゼントにガムが現れたのは本当に突然だった。大体パックに5個ずつ積んであった。味はミントとラスベリーで、後からイチゴ味の物も出てきた。商品名は覚えていないが、一つだけ確か。そのガムが当時の我々の世界を支配していた。それをもらえるように手、足、首に出てきたじん麻疹を隠していた。ほっぺに現れたらもう隠せないけど、だいたいそこまでひどくなっているときにはガムはもうなかった。

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もしプレゼントの中にCMに出ているものが入っていたら、その途端それは国宝となって隠されてた。例えば、「クク・ルク」ウエハースやWagonWheels(チョコパイのようなお菓子)がそうだった。
もう少しするとキンダーサプライズとバウンティが出てきた。弟と私にバウンティを食べさせる前に母はそれを地下室でガチガチになるまで放置していたみたいで、食べた時は何を食べたのか分からなかった。喉につかえて咳が出た。弟は食べられずに吐き出した。母はきっと嬉しかった。それ以来、それをおねだりしなかったからだ。私は甘党なのに今でもバウンティを食べることはない。

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プレゼントの袋の中にPtichie Moloko 「鳥のミルク」を発見するのは、実際に自然の中で「鳥のミルク」見つけ出すのと同じくらいめったにない運の良さだった。紅藻類のことを知らず、ハチドリのことだと思っていた。
箱の中をじっと見て、中身を当てようとしてた。バニラ?レモン?チョコ?そしてゆっくりゆっくり食べていた。まずは端っこのチョコを少しずつ剥がしながら。
いつも一年後にどこかに隠してた「金準備」のチョコが出てくることもあった。大体クリスマス・ツリーの飾りつけの入っている箱の中かSnegurochkaの人形の中か。


何を言おうとしているかというと・・・

先日買ってきた甘いもの全部が一瞬でなくなった。アニスの青い飴だけはもう3ヶ月間も台所に置かれているが誰も食べない。
ネコの空っぽの人形をちらっとみて中からなにか出てこないかなと期待を抱いている。今はスーパーへ行くしかない。自分の足で。お金を持って。


どう、子供の頃の味、思い出した?
さあ、世界一美味しいお菓子は何?

pirat 
 素敵。懐かしくなったな。




vedagon 
 1キロ、70コペイカで砂糖の着いた・・ :)




спайдер
 いいね!見たことある包み紙!

 そのときはお菓子を大切にしてたね。




YDAB11
 包み紙を集めてそれで遊んでいた・・




спайдер
 そうだね!家にまだある!

 この間うちの子供がそれを見てびっくりしてた。




3de9ir
 私は
Grilyaj V Shokoladeが好き。

 昔は名前が違ってたけど

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jguar
 ベラルーシのKommunarka工場が作っている。




curious177 
 鳥のミルク思い出している。記事ありがとう。




Листвянка
 私はGvardejskij(近衛の)チョコ大好きだった。

 ブラックチョコで塩味だった。

 堅くてなかなか噛めないようなチョコだったな。




толстяк
 33コペイカのチョコ忘れられない。

 ラムの中身のもの特に。

 美味しかった!

 マースとかスニッカーズなんかとは大違い!




lukum41
 柑橘類のことあまり書いていないね。

 オレンジ一つとみかん5個。

 そしてMarocというシールを手、おでこ、テレビに貼ったりして。

 あ、あと、必ず入ってたのはチョコのメダル。




barri02010
 著者は甘党だね。

 今のお菓子とソ連のお菓子を比べないほうがいい。

 ソ連時代は材料に良い物しか使わなかったが、

 今はお菓子やケーキの中にはひどいものたくさん入れてる。

 儲けようとしてさ。




Тринидат1
 Zoologicheskie(動物学の)お菓子好きだった。

 中身は柔らかいミント味で小さい粒が入っていた。
 あと、Radij(ラジウム)というお菓子も似たような味だった。




191165
 ラジウムってアルカリ土類金属だ。

 なんでそんな名前をお菓子につけるの?

 いつも気になってた。




птичка блю
 知り合いがそのラジウムというお菓子を買って、KGBに電話して、文句を言った。

 「なんでこんな名前つけるの??ストロンチウムというお菓子も出てくるんじゃないか?」って。

 なんとかするって言われたらしい。



Сладкое, советское, новогоднее
20th.su/2011/01/21/sladkoe-sovetskoe-novogodnee/



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