第二次世界大戦中の1941年9月8日から1944年1月18日まで、900日近くにわたりソ連第2の都市であるレニングラード、現在のサンクト・ペテルブルグはドイツ軍に包囲され飢餓や爆撃により多くの死者を出しました。
このレニングラード包囲戦時、食べ物がなかった人々は一体何を食べていたのか?
ロシアの掲示板で当時の再現されたパンが話題になっていたので紹介します。
以下翻訳です。
百二十五
Сто двадцать пять
レニングラード包囲戦の終結記念日に実験をしようと思った。
当時の人々が食べていたパンを出来るだけ復元してみたかった。
レシピがたくさんあったらしくてややこしかった。10種類くらいあったという。ある材料が無くなったり、その代わりに違うものが使われたりした。今回は1941年のパンを復元しようと思う。材料によって手に入らないものもあったので、その代わりに別のものを使った。
材料はそれぞれ歴史がある。
1. 打って精製したはだか麦
穀物を1回だけ潰したもの。粉というよりただ細かくなった穀物。これは基本だった。
2. オートミールの糠
在庫があった時はライ麦を加えていたけど、切れたあとはオートミールを使い始めた。
03. ひまわりのたねの粕
油を絞ったあと残ったもの。タンパク質がたくさん含まれている。15%から40%まで。とても栄養豊富。
04. とうもろこしの粉
工場とかで残ったものを使ってた。今回、粉は見つからなかったので脱穀されたとうもろこしを使った
05. 松の木の内皮の粉。
いつも入っていたというわけでもない。しかし、パンには使える。これを手に入れるためにどんなことをしたか聞かないでください。実験のためにこれも加える。
06. イースト
木のクズなどから作ってた。家じゃ作れないので今回は普通のイーストを使った。
材料が揃ったのでパンを作り始める。材料の割合は、最終的な重さ(500グラム)を想定して考えた。
結局使ったのは、
1. 小麦粉 40-50%, 250g
2. オートミール粉 20-30%, 100g
3. とうもろこし 10%, 50g
4. ひまわりの粕 10%, 50g
5. イースト 5g。パッケージに1キロに対して11グラムって書いてあったので、その半分を使った。
6. 松の粉 10%, 30g
まずはイーストを膨らませた。
その間、材料をボールに入れた。
30分後、イーストを材料の中に入れて生地を作った。あとちょっとでできる、レニングラード包囲戦のパン。
この生地はあまり普通のパンっぽくはならなかった。このままオーブンに。
1時間後にこんなものを取り出すことになった。美味しそう。
戦争のとき、1日分は125グラムだった。125グラムってどのくらいなのか計ってみた。
もちろん、とても少ない。美味しくもないしお腹もいっぱいにならない。助けを期待しながら少しでも生き延びるための方法でしか無い。しかし、人々はこれを数年間食べていた。このパンを食べて当時の人たちはどんなに苦しい思いをしたか分かった。
以上
crowhunter
一日分の大きさやばい。これで生きていけるの?
Федорр
>crowhunter
しかも特に力のない人とわけて食べてたよ
Уолтер
怖いね
Udel
俺も1978年にこんな実験をした。
普通に食べている人はこんなの食べられないけど、当時の状況を理解するために。
ところで、ペテルブルグにパンの博物館があるよ。
おすすめです。ペテルブルグの人でも知らない人が多い。
Zephyer
誇りに思っているよ!
NNikola
125グラムは、女性、子供の分。
軍隊の人とか労働者は250グラムだった。
Катын
生き抜くためには十分。なんとか生き抜くだけならね
生き抜くためには十分。なんとか生き抜くだけならね
girasole
戦争が始まった時、オレのばあちゃんは15歳だった。
戦争の間、彼女は兵士用のパンを焼いて働いてた。
常にお腹が空いているのにパンを焼くのが辛かったって話してた。
パンを焼く人も一般人と同じ量のパンしかもらえなかった。
もし少しでもパクったら殺される。
0эмоций
俺は5年間ちゃんとした材料でパンを作ってきたけど、未だ失敗する時もある
sa1amander
知り合いの学校の先生から聞いた話だけど、先週学校の食堂に
「レニングラード包囲戦」というパンが入荷したって。
「当時のと全く同じパンだよ」って言われてね。
これからの苦しい人生のための準備かな。
ロシアは不景気じゃないとか言うけどさ。
winik
俺は黒パンしか食べない。ばあちゃんに教えてもらった。
yaplakal.com/forum2/topic1302747.html