ソ連時代に飲まれていた炭酸飲料いろいろ

ソ連時代に飲まれていた炭酸飲料を紹介したいと思います。

レモネードを軸に当時飲まれていた様々な炭酸飲料などの思い出がロシアの掲示板に掲載されていました。

 

以下翻訳です。

 

ソ連レモネード

Советские лимонады
 
 
俺と俺の仲間の子供の頃の一番好きな飲み物はレモネードだった。
子供の頃、甘い炭酸飲料を全部レモネードと呼んでいた。
種類がたくさんあった。一番流行っていたものを紹介したいと思う。
 
まずはレモネードから。その歴史は古い。
ソフトドリンクとしての歴史は紀元前500~600年かららしい。その頃は炭酸ではなかったが。
 
 
リュドヴィク1世に仕えたバーテンダーのおかげでレモネードが炭酸になった。
伝説によると、彼は王様にワインを注いだつもりでいたが盃を王様の元へ運ぶ途中にジュースと間違えたと気付き、ミネラル水を少し足して差し出したという。
彼は殺されると覚悟したが、おかげで見た目がスパークリングワインに似た飲み物が出来た。
グラスに注ぐと波打ち際のような、滝のような音がする。
王様に「なんだこれは?」と聞かれ、「スプリッツァー」と答えた。
王様の口にあったので、「王様のレモネード」と呼ぶようになった。
 
17世紀のフランスでは、レモネードを水とレモン汁で作っていたが砂糖を加えるようになった。水はミネラルウォーターを使うことも多かった。ただ、それを飲めたのは貴族たちだけだった。
フランスとほぼ同時にイタリアにもレモネードができた。
イタリアにはレモンの木がたくさんあり、レモネードに違う果物も加えたりハーブを加えたりした。
1767年イギリスの学者ジョゼフ・プリーストリーが二酸化炭素を水に溶かす方法を編み出すと同時にレモネードを人工的に炭酸化するようになった。プリストリーは水に二酸化炭素をいれる機械を作った。
 
ロシアにレモネードが現れたのはピョートル大帝のおかげだ。ヨーロッパ旅行から持って帰ってきたのだ。
ピョートルは外国の習慣などを真似るのが好きだったが、失敗に終わった髭剃り、コーヒー、タバコなどと違いレモネードは人気となった。
「集まりでレモネードを飲みなさい」と命令を出すと貴族たちは喜んで従った。しばらくすると商人たちも他の社会の層の人々も次第に飲むようになっていった。ただし高かったのでお金のある人しか飲めなかった。
 
20世紀の頭、レモネードを炭酸化させてボトルに入れるということを工業化し大量に生産した。
そしてソ連時代には国民の飲み物となった。
砂糖と果物、ハーブで作るレシピが決まってきた。素晴らしい味のほかに、元気を呼び戻す効果もあった。
 
次は、SITROについて見ていきたいと思う。甘い炭酸飲料でそれが一番好きだ。
 
ロシアに来たのは1812年以降。CITRON(レモン)という言葉が語源であるという説がある。
ソ連で人気が出たのは、「本当のシトロは特別ビュッフェとボリショイ劇場じゃないと飲めない」という噂のおかげである。
噂を聞いてシトロを飲むためにボリショイ劇場に行った人もいた。
作り方はトップシークレットだった。
材料は、砂糖、炭酸水、バニラエッセンス、クエン酸、果物か柑橘類のシロップ、様々な安定剤や防腐剤など。
レシピ通りちゃんと作られていればとても体にいい。
なぜならば材料のビタミンとミネラルが全部残っているから。特に大事なのはカルシウム、鉄、フトル、ビタミンCだ。
 
もう一つ甘い炭酸飲料 クリームソーダ
 
150年くらい前に発明された。
伝説によると医者の弟子であったラギドゼ・ミトラファーンが考えたという。
ソ連時代、スターリンの大好物だったため広く作られるようになった。
炭酸水と卵白で作る。レモネードと違い、クリームソーダは味の素と炭酸水、両方が必要不可欠な材料である。
 
もうひとつ、忘れてはいけない飲み物はTarhun。
 
1889年、グルジアの若い薬局店員のラギドゼ・ミトラファーンは、炭酸水とハーブを使って飲み物を作った。
特に際立つ味はエストラゴンである。エストラゴンの俗名はTARHUNなのでこの飲み物もその名前になった。
第一次世界大戦の前に既にたくさんの国際的な賞をもらった。
しかし、人気が出たのはもっともっと後のこと、1981年以降である。
最初は試しに作ったTarhunを植物園で販売し大好評を得た。
2年後の1983年にそのレシピはソ連の全てのソフトドリンク工場に伝わり、ソ連国民の手に入りやすくなったのだ。
 
ブラチーノ。尤も広く行き渡ったソ連のソフトドリンク。
 
ブラチーノは不足になったことがない。ソ連のどこでも作られていた。全て同じレシピでだ。
人工的な香料と防腐剤は一切入っていなく、賞味期限は一週間だった。
0.5リットルのボトルで売られていた。写真のようなラベルが貼られた。ブラチーノの絵が載っている。
ブラチーノ飲料は、透明な金色で、美味しい甘辛い味でシュワシュワ。10コペイカだった。
 

※ブラチーノ:ソ連版ピノキオ

 
 
バイカルは1973年、コカ・コーラのライバルとして発明された。
 
70年代後半~80年代前半にかなり珍しくてとても人気のあったソフトドリンク。
オリンピックの前に広く販売されるようになった。
売りだされると同時にものすごい人気となった。
水、砂糖、クエン酸のほかに、オトギリソウ、スペインカンゾウ、ウコギエキスが入っていた。
その他に、ユーカリ、レモン、ローリエ、モミの精油も入っていた。
 
ほかに、サヤヌィというソフトドリンクがあったり、
 
ヂュシェスがあったり
 
「カラコーリチク」、「クリュショーン」、「ヤブラチニイ」(りんごの)、「グルショーヴィイ」(洋なしの)、「アピリシーナヴィイ」(オレンジの)、「プチョールカ」(ミツバチ)などなど
 
私の実家の町は、グルジアの美味しいレモネードも売ってた。「アラドゥ」「トビリシ」「バフマロ」「イシンディ」などなど
 
レモネードの話しているのでもう2つのものの話をしなければいけない。勿論、ペプシだ。
 
そしてファンタ。
 
しかしこれらはものすごく珍しかったかのであまりライバルにならなかった。
ペプシはときどき売りだされていた。今でも覚えている。
0.33リットルの透明なボトル、45コペイカ。一瞬で売り切れになった。
ファンタを初めて飲んだのはモスクワに行ったときだった。
うちの町まではなぜかたどり着かなかった。
 
炭酸飲料の話だから、自販機も触れないとだめだ。
自販機はどこにでもあった。
 
1コペイカで炭酸水を買えた。
3コペイカ払えば、シロップを入れてもらえる。
シロップはだいたい柑橘類のもの。
甘党は6ルーブルを払ってダブルシロップを買っていた。
モスクワに行ってびっくりしたのは、炭酸水の自販機のほかに、Tarhunやバイカルを入れてもらえる自販機もあったこと。
Tarhunは10コペイカで、バイカルは15コペイカだった。
 
 
 
 
 
Mutel
 量り売りの炭酸水が一番好きだった。しかも自販機ではなかった。
 おばあちゃんが住むカザフスタンに行ってた。
 駅とクラブのそばにそれぞれ2つのキオスクがあった。おばさんたちが売ってた。
 シロップなしは1コペイカ。シロップ入は3コペイカ。5コペイカでシロップダブル。
 
 
 
shanik
 Tarhunとバイカル飲みたい。パンとアイスといっしょに。
 
 
 
ViPPRO777
 うちの近くに炭酸水工房があった。
 11~12歳の時よく行ってた。
 炭酸水のボトルが閉まらなかったらそれを不良品として専用の窓口に出してた。
 私達はそれを入るだけ飲んでいた。1990~1991年の話。
 
 
 
Domestoshlor
 Tarhunは一番。最高の味だ。
 
 
 
syshell
 コーラと違ってバイカルの効果は自然な材料によるのである。
 というかウコギの浸液自体はとてもいいものだ。
 
 
 
Allinovskiy
 俺の一番好きな飲み物はウオッカだ。友達もそう。
 
 
 
Регион37
 あああ、懐かしい。
 ファンタを作り始めたばかりのころはすごく美味しかった。
 今はまずいけど。モスクワでしか買えなかったけど。
 バイカル…いいね。思い出させてくれてありがとう。
 あの時のレモネード、飲みたいな。
 
 
Mityoksh
 私は子供のころから飲み物にうるさくて100%のジュースしか飲まなかった。
 
 
 
Mutel
 モスクワだけではない。
 ノヴォシビルスクではファンタとペプシを作ってた。
 ノヴォシビルスクを通るときにいつも買ってた。
 
 
 
OlegHunter
 エストニアはペプシがたくさんあったけどありえない値段だった。
 0.33のボトルは45コペイカ。ありえない。
 そのお金でアイスを4個買える。だからペプシーは誕生日だけ。
 
 
 
Jus
 >OlegHunter
  そうだね・・ファンタもそうだった。
  俺が7歳くらいの時、スーパーにあの「黄金の」が現れた。
  ありえないくらい美味しい。
  貯金箱をばらばらにして、アヴォシカいっぱい買い占めた。
 
 
 
dimonforest
 ブラチーノは一本30コペイカだった。
 でもその場で飲んでボトルを返せば10コペイカ。
 飲んでいるとガスが鼻をくすぐる。 🙂
 
 
 
SourseXL
 ソ連の一番高いレモネード。65コペイカ!!
 
 
 
 
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