村人のほとんどがマトリョーシカ作りに携わるロシアのポルホフスキー・マイダン村

ほとんどの村人がマトリョーシカづくりに関わっているロシアのポルホフスキー・マイダン村の様子を紹介します。

以下翻訳です。

マトリョーシカの作り方

Как делают матрешки

 

 

 

ニジニー・ノヴゴロド州の
ポルホフスキー・マイダン
村に、マトリョーシカの作り方を見に行った

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ここは数百年であまり変わっていない。
模様のついた木材の家。壊れた道。同じシナノキの森。同じ工芸。
400年間ここで、ロシアのもっとも有名なおみやげであるマトリョーシカが生まれる。
ここの農民たちがサロフスキー修道院から製作方法を教わった。
20世紀頭に、木材の物を焼き付けたり、その後、色をつけたりした。そのときマイダンらしい模様が完成した。
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昔はクラスナヤ・ザリャーという工房があった。そこでみんなでマトリョーシカを作っていた。
しかも、人の家を回って、だれも勝手に家で作っていないか確認していた。
ソ連が崩壊すると同時に工房もなくなった。
今はみんなそれぞれの家で作り、個人事業者たちが伝統を続けている。
作り方や模様の秘密は父から息子へ、母から娘へと伝わっていく。
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ここの人の暮らしはシンプル。素直に働いている。
木を切って、食器やおもちゃを作る。木を森に切りに行く。
行きたくない人は切ってあるもの買う。車いっぱいで17000ルーブル(冬)2万ルーブル(夏)。
「車の半分、使えない枝とかを入れられる可能性もある。村から12キロのところに森がある。森の管理人から許可を買い、どこを切っても大丈夫か聞く。許可なしで切る人もいるが、捕まったら10万ルーブルの罰金。」
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機械工の工房は、男性にとって家みたいなもの。一日10~12時間ここで過ごしている。
そうしないと儲からない。
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体も心も丈夫じゃなきゃいけない
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一見みんな同じだけど、実は同じ物はない。みんな手作り。
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働く時間は決まっていない。休みもない。働きたかったら働く。
 
 
マトリョーシカ作りは木材の選定から始まる。選ぶのは菩提樹。とても柔らかくて使いやすいからだ。
木材の用意にぴったりな時期は春。木を切ってからしばらく乾かして、更に細かく切る。
マトリョーシカの下の部分は、数年間乾かした木材から作る。
上の部分は生っぽい木材で作る。あとで乾いてピッタリ閉まるように。
最初は一番小さいマトリョーシカを作って、それからそれに合わせて外のマトリョーシカを作っていく。
中にあるものがぴったり合うように、大きい方の中を削っていく。形を作り終わったら、色を塗って、ツヤをつける。
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おじいさんが作ってたし、お父さんも作ってたし、僕も作っている。
 
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埃が多くて、いつもそれを吸い込む。
若いとき、一回薪が外れて鼻にぶつかった。一生忘れない。
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モスクワでは以前、一番小さいマトリョーシカをたくさん作って(大きさ15ミリ)、かっこつける人たちに売るのが流行っていた。
彼らは服とかにそのマトリョーシカをつけるのが好きだった。
一個1ルーブル。
そのルーブルで二日酔いのときにアルコールを買って頭を覚ますことができた。
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社会の授業で、マトリョーシカの模様にどんな意味あるのか説明している。
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村の人たちはとても優しくて気さく。
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村の売店。スカーフ、お化粧。
村の女性は自分自身よりもマトリョーシカの化粧をすることが多い。
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でも、マトリョーシカの顔のモデルはだれでしょう。
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村の文化会館。若い人はだいたい町に出る。村じゃ面白くないから。
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昔はマイダン村のマトリョーシカは隣村でしか売っていなかった。
作るときに使う機械が電気で動くようになるとロシアの他の町でも他の国でも売れるようになった。
ニジニー・ノヴゴロドとモスクワの市場から全世界に出て行く。
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しかし、マトリョーシカにとって家を見つけるのはそう簡単ではない。
中国の大きなバッグに入れて、凸凹の道の上で引っ張られていく。雨の日でも雪の日でも店の棚に並んでいる。
100以上の競争相手から選ばれるまで。
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マトリョーシカを売るのはビジネスだから想像は関係ない。
モスクワとサンクトペテルブルクのおみやげ屋で5個からなるマトリョーシカが250~7000ルーブルする
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伝統的なマトリョーシカの他に、昔話の登場人物の顔の描いたマトリョーシカや、イースターエッグ、もみの木、鶏などのおもちゃも作る。
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流行りの模様は変わっていく。
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昔々、カルロ父さんがピノキオを作った・・
ロシアの話は全然違う。マイダン村の人たちは勤勉で頭が良くて美人の女の子を作った。
彼女は村の全員に仕事を与えてくれて、ロシアのシンボルとなった。< /span>
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Иван81
 6枚目は素敵なマトリョーシカだ 
 
 
 
Rus17
 >Иван81
  22枚目のことじゃない?22枚目のは確かに素敵なマトリョーシカだ。
 
 
 
nemo07
 この村、仕事があっていいね。
 だから人が少しでも残っている。
 うちのプスコフ州では村がまだ生きているのは、ダーチャに来る人たちのおかげだけ。
 
 
 
enya78
 残念ながら、今はマトリョーシカを作るのは中国が一番盛ん。 こうやって作るんだ。
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Fosto
 売店のお姉さんはホット!
 
 
ilkman
 いいテーマだ。
 ヴォズネセンスコエの博物館の写真を加えます。
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 そこも村人は作っているか売りに行くかのどっちか。
 売りに行くひとのほうが生活レベルが高い。健康も悪くしないし。
 でも、市場に出るのってなかなか大変。
 きれいにちゃんと描ける人も少ないし。
 作ればいいだけでひどい模様になるなんて人が多い。
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yaplakal.com/forum2/topic1111288.html

 

 

 

 

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