とあるロシア人の子供の頃の思い出。
成績の良かった彼の初めてのアルバイトは同級生にカンニングをさせることだったそうです。
その当時の学校の思い出とともに紹介します。
記事中に出てくる「第1学校」なんですが、学校の名前なのか、それとも優秀な学生が集められる1番の学校なのかがちょっとよくわかりませんでした。
なぜならば、ロシアの学校は日本のように名前ではなく番号しかないのです。
文脈から考えると成績優秀者とお金持ちの子供が集められた学校ということは確かなようです。
新ロシア人の説明は本文中で。
それでは以下翻訳です。
初めての収入
Первый зарaботок
小さいころ学校に通っていた。成績が良かったので5年生を終えたら普通の学校から第1学校に転校ができた。93年の話である。「新ロシア人」が出たばかりのころで、一方私の家族のような中流家庭は昔の福祉なんかをとっくに忘れていた。
新ロシア人:ソ連が破壊したあと急にお金持ちになった人のこと。今までいなかったビジネスマンで、収入は違法なものの場合が多く、教養が足りないというイメージがある。
赤い背広、携帯、金の大きなネックレス、大きくて高い時計、ベンツがステレオタイプ。
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第1学校は当時、お金持ちと貧乏で賢い子供が両方混ざって勉強していた。
同級生が高いスニーカーを履いて、運転手つきの外国の車で出迎えしてもらっていて、冬休みにアラブ首長国連邦などにバカンスに行っていたという。
私にとってはまるで別世界のようだった。
不思議なことに同級生のみんなは普通にいい人たちで、貧乏な方の子供をいじめるどころか、誰かがいじめようとしたら逆に守ってくれていた。
彼らは成績も良くて、クラスの成績トップ5の内、3人はお金持ちの子供だった。
成績のつけ方もわりと平等だった。教員が個人レッスンなどに「都合のいい時間」をお金を払ってもらえば見つけていた。そういうやり方でみんな満足していた。
数学の授業。そろそろテストが来るころであった。
お金持ちの一人が私に手伝ってくれと頼んできた。お礼に5ドルか10ドルくらい払ってくれるという。
私にとってすごい金額だったから断ることができなかった。
手伝うというのはどういうことだったかというと、テストのとき、彼が問題のどれが解けないか私にしらせる。
私はその問題の解き方を紙に書いて、当時みんなが使っていたBICというペンをバラバラにして、紙を芯に巻きつけて、ペンをまた元の形に戻す。
彼は「ペンが壊れた」と言って、周りの人に貸してくれるようにお願いする。
あとはお分かりでしょう。
私の汚い字とペンのインク漏れにもかかわらず成功した。
お金はどうしたのかすっかり忘れた。
利己主義者のように、2回マルシュルートカ(※小型の乗合バス)で家に帰って、甘いものか、コーラを買って終わったのか、それとも良い子のように病気の母になにか買ってあげたのか。
novosyolkina
町はどこなの?
もしかしてベルゴロドじゃない?
ugryumburcheev(スレ主)
>
novosyolkina
違います。オデッサ。
でもこういう話ってどこでもありえる。
vikky_lukoje
つまらない記事だ。
普段この著者の文章が面白いのに
ugryumburcheev(スレ主)
>
vikky_lukoje
なんて侮辱を感じやすく執念深い読者でしょう。 🙂
vikky_lukoje
>
ugryumburcheev(スレ主)
ただ記憶力がよく忘れられないだけ。
larissimo
気になるけど、頭のいい子は貧乏な子供に無料で手伝ってた?
それとも手伝ってたのはお金持ちだけ、お金をもらって?
それとも普段は無料だけど、そのときだけお金を貰えそうで断れなかった?
ugryumburcheev(スレ主)
> Iarissimo
これだけ。一回だけだったよ。
deeugen
BICでみんな書いていたって断言しすぎ。
私と私のクラスメイトは同感できない。
ugryumburcheev(スレ主)
>
deeugen
それは文学的な大げさであって、
あなたとあなたのクラスメイトを批判するつもりはなかった。
1women_1men
汚れのない収入だ。
ugryumburcheev(スレ主)
>
1women_1men
税務署まで辿り着かなくて残念だけどね。
Первый зарaботок
my-first-time.livejournal.com/267892.html