ソ連時代の小学生1年生のカバンの中身

ソ連時代の小学生の思い出をカバンの中身を見ながら思い出す記事を紹介します。

 

 

以下翻訳です。

 

ソ連の小学校1年生のカバン

Портфель советского первоклашки

 

 

 

私はもう存在していない国で生まれた。

初めて学校に行ったのは1988年9月1日で、ソ連崩壊の3年前だった。


子供とその両親の人生にとってとても大きな出来事だからか、当時はものすごく重要視されていた。

店で必要なものを見つけるのがなかなか大変だったから、その準備は半年前からし始めた。


人工皮で作ったカバン、鉄製でとても重い本立て、そろばんと時計のついたプラスチックのふで箱、新しくてとても流行っていたがものすごく太いシャーペンなどを一生忘れない。


記憶にいつまでも残るこのかわいい物たちが、隣の人のものやクラスの半分のものとまったく同じであるということがよくあったので、必ず自分の名前を入れたり、糸を結び付けたり、傷をつけたりして区別がつくようにしていた。


私はピオネールにならなかったが(制度がなくなったから)、短い間でもオクチャブリョーノクであったことを誇りに思っている。

このバッチを制服につけるとき、ものすごく嬉しかった。

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ソ連時代、1年生(つまり、6~7歳)になると「オクチャブリャータ」に入団し、彼らは「オクチャブリョーノク」と呼ばれた。

10歳になると、オクチャブリャータは卒業となり、次の組織、「ピオネール」に移る。

 

80年代後半に学生だった人ならだれでもきっと思い出す。

大きな変化が来る予感、国の崩壊の話。オクチャブリョーノク入団式なんかはっきりしていなくて、その時もらったバッチが最初で最後であるって分かってた。

 

RANETSと呼ばれていたバッグは人工皮のなかなか消えない匂いと嫌なバックルが特徴だった。

全力で押して長い間引っ張らないとあかない。

時々、片方を開けて、もう片方を開けるのがめんどくさくなって、半分だけあいているバッグからノートを出していた。

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クラスの半分くらいはこういうふで箱を持っていた。

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そろばんと時計が印象的だった。

これ以外に私は大きな鉛筆の形をした色鉛筆用の筆箱も持っていた。

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片方に鉛筆削りがついていて(もちろん鉛筆を折るばかりでにたたない)、値段割と高くて1ルーブルと45個ペイかだった。

 

もう一つの遊びはこちら。Prodlyonkaの時の大人気おもちゃ。誰かまだ持っているかな。

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金属製でとても重い本立て。

いくつかの使い方があって、本を立てるだけではなく、前に座っているクラスメイトに罰を与えるのにも使えた。彼はよく後ろを向いて先生の話を聞く邪魔をしていたから彼の頭をこの本立てで殴っていた。正直、残酷だったね。

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「美術」というセットのシャープペンシルが88年の1年生の大人気商品だった。

問題は、交換の芯を長い間ばら売りで買えなくて、セットにだけ入っていた。

だから替えようと思ったら、普通の鉛筆をうまく壊して、中の芯を取り出すしかなかった。

そのあと、カッターで気を付けて鋭くする。

こうやって、もともと時間を節約するための作られたものは逆に非常に時間を必要としていた。

でも持っていると自慢できた。

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そして、勉強には要らないけど、日常的にとても役立つもの。誰か持ち歩いていた?

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画鋲

 

 

 

その大昔の時代色鮮やかなペン、筆箱、かっこいいリュックなかったけど、我々の方が持っている数少ないものを大事にしていたと思う。

 

 

 

 

 

Киев
 今でもこういう本立てを持っている。

 俺の子供が使ってる

 



Neleck
 私は70年代の終わりに行っていたけど、同じようなものだね。
 色鉛筆の箱だけど、あれは机から落ちたりした?

 私も丸いペン箱を持っていたけど、いつもどこか転がって行ってしまいそうだった。

 結局木製のものに替えた
 うちのクラスでは、二人の女の子が持っていた外国のふで箱が大ヒットだった。

 彼女たちがそれをとても大事にしていて、中学校の半ばまで使っていたみたい。

 白とピンクのとあって、ぴかぴかの材料で、中に区切りがたくさんあって、

 ふたにきれいなアニメっぽい絵が描いてあった。

 とても素敵だったから今でも覚えている。

 

 

 

Совок 
 本立てはタブレットにぴったりじゃない?

 

 


владислав
 覚えている。

 シャープペンも時計のついたふで箱も。

 とてもかっこよかった。

 鉛筆の形をしたふで箱も。

 本立てはちょっと違っていたけど、やはり金属製だった。

 ふで箱のことだけど、すぐ禁止になった。

 プラスチックと木製のもが落ちたらとてもうるさかった。

 だから人工皮のものを使った。

 鉛筆削りは?ホッケーのヘルメットの形、ラケットの形、飛行機の形!

 そして一生忘れない赤い魚の。

 

 

 

AlexZ 
 プラスチックのふで箱はあったけど、すぐ消えた。壊れやすかったから。

 あのランドセールを小学校の時に使ったが、中学校に入ったら普通のバッグにした。

 バッグの中に学校関係のもの以外に入っていたのは、
 本(授業がつまらなかったら)
 携帯チェス
 軽いお弁当(リンゴとサンドイッチ)
 小学校では給食あったけど、おいしくなかったから食べなかった。
 写真の本立ては大学1年生の時に使った。
 この記事を書いた人のクラスメイトはかわいそうだね。 😀

 

 


владислав
 >AlexZ 
  そう、チェスのことで思い出した。

  中学校1年生か2年生のときだった。

  2月23日に女の子にマグネットチェスをもらった。

  休憩のときとか遊んでいた。懐かしい時代だな。今でも保存してある。

  今は大学で勉強している。同じクラスの人が貸してというから貸した。

  農学の授業が始まって、よく見たら、二人がこっそりチェスをやっている )))

  なにかと交換してといろんな人に言われたけど

  子供のころの思い出だから交換しなかった。

 

 

 

AlexZ 
 俺もマグネットのチェスを小3から持っていた。
残念ながらなくしちゃった。

 軍隊に行ったときに持って行ったがあるひどい日に盗まれた。

 

 

 

mrborman 
 俺も同じだった。バッチだけはプラスチックのではなく、鉄製だった。

 小1になったのは1983年。食堂でカツレツとコンポートが大好きだった。

 休憩のときにレモネードの蓋やお菓子の包み紙で遊んでいた。

 あと、黒板の布巾を投げあったりとか。

 



Барух
 1年生の時のカバンは覚えていない。

 2年生の時は明るい茶色で、運転しているアヒルの絵が描いてあった。

 一番面白いのは、そのかばんはすぐ穴が開いたりしたので何回も修理に出していた。

 

 

 

Ellen 
 私も1988年に1年生になった。

 でもオクチャブリャータの入団式は結構華やかだった。

 みんなが並んで、写真のようなプラスチックのバッチを付けられたの覚えている。

 私は鉄製の星がほしかったから、それを付けている人がとてもうらやましかった。

 ピオネールにも入団できた。共産党の何かの組織から女性が来て、

 みんなで生徒一人ひとりについて話し合っていた。

 ピオネールになる資格があるかどうかと。

 

 

 

 

 

20th.su/2012/06/05/pervyj-raz-v-pervyj-klass/