クレムリンの中に世界で一番大きな鐘、
「鐘の皇帝(ツァーリ・コロコル)」が展示されています。
有名な観光名所の一つとなっているのでモスクワへ旅行した人ならば見たことがあるのではないでしょうか?
今回はこの鐘の皇帝の歴史について書かれた記事を紹介します。
以下翻訳です。
鐘の皇帝の歴史
История создания Царь-Колокола
世界中どこを探しても「鐘の皇帝(ツァーリ・コロコル)」より大きな鐘はない。
この鐘は優れた見た目なのだがその音は誰も聞いたことがない。
しかしいずれにせよ、この鐘はユニークな鋳造作品であり、ロシアのシンボルである。
ロマノフ朝第4代のロシア皇帝、アンナ・イヴァノヴナが鐘の皇帝を作るよう命じたところからこの歴史は始まる。
クレムリンのグリゴリエフの鐘の代わりになるはずだった。
元のグリゴリエフの鐘を使い、また2割ほど大きくしその重さを1万プード(1プードは約16.38キログラム)になるように。
鐘鋳造師のマスター達はだれもこの仕事を引き受けたがらなかった。
グリゴリエフの鐘でさえかなりの難易度だったので、新しく作りなおすことは無理に思われた。
フランスの宮廷の専門家に問い合わせまでしたが、フランス人の専門家はこの提案を冗談だと思い断った。
マスター探しの責任者、ミニヒ伯爵は絶望に近い状態だったが、やっとのことでイワン・モトリンという鐘鋳造師が制作を引き受けてくれた。
他に選択肢がなかったのでモトリンに任せることとなった。
1733年に仕事が始まった。
場所は現在のモスクワ、リュビャンスカヤ広場あたり。(「Детский мир(子どもの世界)」という店があるところ)。
直接地面に型を掘った。この重さだと他に方法がなかったのだ。
この準備だけで1年半かかった。
そんな最中、1735年、モトリンが突然亡くなった。
彼の息子が仕事を受け継ぐしかなかった。
完成したとされている日は、1735年11月25日。
重さは約200トンだった!大きさは6メートル増加した。
材料は銀(525キロ)、金(75キロ)、銅(85%)、すず(13%)。
鋳造後もう少しだけ手を加える必要があった。
余計な物を落とし、飾りをつけること。それもまた時間かかった。
装飾作業の間はずっと地面に掘った穴のなかに置かれていた。
洗礼者ヨハネ、ペトロ、キリスト、聖母、聖アンナの浮き彫りが現れてきた。女帝アンナ・イヴァノヴナの姿、皇帝アレクセイ・ミハイロビッチ(ピョートル大帝の父)の姿も。
しかし、1737年5月20日、ほとんど作業の終わっていたのだが、鐘のまわりに作られていた木造の足場が燃える火事が起こってしまった。
鐘は温まった。装飾が解けるのではないかと心配され、鐘を冷やすことが決まり、鐘に水を注ぎ始めた。
これが大きな間違いだった。
急激な温度変化によりひびが走り、11.5トンのピースが欠け落ちてしまった。
これを直そうという試みが過去2回あったが、直しても音がおかしいのではなきかと結局あきらめてしまった。
1836年にモスクワのクレムリンに置かれ、ある種のシンボルとなる。
現在でも同じところに置かれている。
abxaz
勉強になった。
Postsdal
火事のあと穴にそのまま置いてあったのがおもしろい。
約100年くらい穴の中でほっとかれた。
Willis
直そうとして諦めたのは、当時これがなかったから
ロシア人は何かを直すときにこの青いビニールテープをよく使う。
これを貼り付けさえすれば修理したということになる。といったある種の冗談があり、ロシアのネット上では何かが壊れたと書き込みがされるとこのテープの画像が張られる。
gizmo
大きくてとても高いもの。
目的の機能をはたすことなく、これからも果たすことがない。
見た目を保とうとして、本来の意味を壊してしまった。
ロシア人の心の広さ。
Потеряшкин
ちょっとわからないのは地面に型を掘るくらい重くて、他の方法じゃ無理だったというのに、
どうやって建物につけようとしたの?建物が壊れちゃうのでは?
steslia
ピオネールがあったころ、遠足で行ったことある。
この話も聞いた。久しぶりに思い出して楽しかった。ありがとう。
педобелка
題名覚えていないが、これについて映画もあった。
anikifya
2つのシンボル。
ツァーリ・コロコル(鐘の皇帝)とツァーリ・プーシュカ(大砲の皇帝)。
両方とも使われたことない。
こうやってロシアでのジャイアントマニアは終わった。
よかった。過ぎたるは・・・
この二つの金属の塊はのちの時代への教訓になるといい。
大砲の皇帝:鐘の皇帝と同じくクレムリンに展示されている。
1586年にロシアの鋳造職人アンドレイ・チョーホフによって製作された。重量約18トン、全長5.34メートル、口径890ミリメートル、外径1,200ミリメートルという大きさは榴弾砲史上最大の口径であり、ギネスブックにも記載されている。使用されたことは一度もない。
< br />yeahnot
Andrey Rublyovという映画に鐘を作るシーンあるがとてもおもしろい。
sntim
公式説はあてにならない。
スウェーデンとの戦争のとき、大砲を作るための銅が不足していて、
ピョートル大帝は教会の鐘から大砲を作らせた。
モスクワのど真ん中に落ちて壊れた鐘のかけらが転がっているのになぜそれを使わなかった?
だから、本当にあったかどうかわからないよ。
dimon1111111
>sntim
ピョートルが死んだのは1725年。
1733年にできた鐘の大砲をどうやって使う?
タイムマシーンはまだ発明されていない。
sntim
>dimon1111111
もっと注意して読んでください。
記事に書いてあるように、
「元のグリゴリエフの鐘を使い、また2割ほど大きくしその重さを
1万プード(1プードは約16.38キログラム)になるように。」命じた。
つまり、皇帝の鐘の材料となったのは、違う鐘で、その鐘も小さくなかった。
それも落ちたり、燃えたりして割れた。長い間そのまま転がっていた。
「モスクワのウスペンスキーの鐘は1701年に多数の欠片に割れてしまった。」
同時にペテルブルグでは、「1701-1705年に、スウェーデンとの戦いに負けて、
教会や修道院の鐘を使って大砲を作るようにピョートル大帝が命じた。」
また、ペテルゴフの銅像を作るときには銅が足りなくて、
例えば、サムソン像は鉛からできている。
モスクワにはまだあの欠片が転がっているのに。
eugene11
すごいものだね。
大砲の皇帝と同じように。
lses
2つのシンボル。鐘の皇帝と大砲の皇帝。両方とも使われたことない。
あと、弱虫の皇帝もいた。
ちゃんと国の指導をしなかった人。(※ニコライ二世のこと)
kruglov
風呂の皇帝はどう?48トン。
石一つからできたプールで、バケツ8000杯入る。
ペテルブルグの有名な石職人のマスターが作ったもの。
デザインはアグスティン・デ・ベタンクル。
一つの石から1600ルーブルで切った。
その石はフィンランドの島から運ばれたもので、もともと160トン以上だった。
完成まで10年間かかった。
ビデオもある
VSE88
想像してみて。
道に銀525キロ、金75キロ、銅150トンくらいがただ、ポンとおいてある。
置いてあるのにパクれない。
senets
欠けた部分はトラムヴァーイ(路面電車)と同じ重さ。
yaplakal.com/forum2/topic985074.html