どうしてソ連のアイスクリームは世界一だったのか?

ロシア人がアイスクリームが大好きだというのは知っていますか?

特に冬、寒い中外で食べるアイスクリームが好きなんだそうです。

理由は、溶けないから。

 

それはともかく、ロシアのアイスクリームはほんとうに美味しいです。

まさに濃厚な味といった感じです。

 

このロシアのアイスクリームはソビエト時代から続く伝統のようなもので、ソビエト時代のほうが美味しかったとか。

そんなソビエト時代のアイスクリームについての記事を紹介します。

 

以下翻訳です。

 

どうしてソ連のアイスクリームは世界一だったのか

Почему советское мороженое считалось лучшим в мире

 

 

 

子供と大人に愛されているこの甘いものの歴史は5千年以上である。古代ローマではネロ皇帝がそれを味わっていたという。
今は国の基準、GOST(ロシアの国家標準規格)が存在しているが、GOSTがついているということは牛乳を素に作られているということである。

ソ連のアイスクリームの特徴とは何か?それははっきりとした牛乳の味。

 

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生クリームのアイスクリーム、Plombir、果物やベリーのアイス、

スタカンチーク、

 

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エスキモー、

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チョコでコーティングしたコーン、

 

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など。これらがソ連アイスクリームの時代である。その品質について伝説があった。その味の秘密は?


それはGOST117-41のおかげである。それにそってソ連の子供の大好きなおやつが作られた。そのGOSTは世界一厳しい基準で、1941年3月12日に実行された。

保存料が一切使われず、本物の牛乳のみを使用していた。作り方が全国どこでも同じだったので、どこの町に行っても味は一緒だった。

最初はソ連政府はあまりアイスクリーム
を気にしなかったが、時間の流れとともにその態度が和らいで、戦後になると、逆に広げはじめた。


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ソ連の値段:
白鳥の絵のアイスクリーム
 13コペイカ
ミルクアイスクリーム
 9コペイカ
フルーツアイスクリーム
 7コペイカ
チョコレートエスキモ(小) 11コペイカ (大)22コペイカ
「レニングラード」28コペイカ
バタークリームのバラつきスタカンチーク 28コペイカ


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初めて工場でたくさん作るようになったのは30年代ごろ。

「アイスは大衆用の食品で、求めやすい値段になるべき」という法令が出た。

1年に一人が少なくとも5キロを食べなければいけないとされていた。

火に油を注いだのは、アメリカの状況であった。アメリカは世界1のアイスクリーム
生産量だった。

アメリカの60万トンに対して、ソ連では8トンしか作られていなかった。その状況を変えようとミコヤンがアメリカに機械を買いに行った。

1937年11月4日にソ連の初めてのアイスクリーム
が作られた。そのあと、モスクワ、レニングラード、ハリコフにも工場ができた。1940年にキエフでも大きな工場が動き始めた。

 

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その品質もとても良かった。一口ごとに100点満点で点数をつけていた。味、色、匂いが少しでも異なっていたら不良品とされていた。また、アイスクリーム
の賞味期限はたった1週間だった(今のは半年でも平気)。

アイスクリーム
の生産量と消費量で世界2位になった(1位はアメリカだった)。毎年2000トンのアイスクリーム
を輸出していた。外国でソ連のアイスクリーム
はプレミアムクラスだとされていた。かなりの値段で、高級レストランで出されたりもした。

 

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母国でも一番美味しいアイスクリーム
は店晒しになったりしなかった。一瞬で売れきれになった。道端の屋台で50グラムか100グラムで売ったり、キオスクやカフェでも売っていた。

50年代には街中にエスキモーを持ったペンギンポスターが貼ってあった。

 

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生クリームのアイスクリーム
のスタカンチークは22コペイカで、追加3コペイカ払えばジャムかチョコの粉をかけてもらえた。

24コペイカのエスキモーもあったが、一箇所でしか売っていなかった。しかもたまにしか。

売り出されたら一人で5~6パックを買い占めていた。家族の分まで。

面白い帽子を被ったおばさんにタンクのふたをあけてもらって、好きなアイスクリーム
を選ぶ。品切れになったら、おばさんは、「2時間後また届く」と嬉しく言うか、「もう並ばないで」と寂しく言う。

そう言われたらみんなブツブツ文句を言う。

 

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キオスク(※町中の売店。)でアイスクリーム
を買えたのは週3回くらいなので、すごく長い列になっていた。

田舎からアイスクリーム
を買いに来てた人がとても叱られていた。なぜかというと彼らが3リットルの瓶にアイスを詰めていて列を遅くさせていたからだ。
カフェでPlombirを出していた。彩りの丸を専用のお皿に盛った。

 

こんな感じ

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チョコ味、クリームブリュレ、フルーツ、シャンパン味、炭酸水の味、フルーツソースの味、様々な味があった。

 

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田舎の子供にとってアイスクリーム
は奇跡のようなものだった。田舎の店で買えないから。だから自分で作るようになった。容器に雪を入れて、スメタナ(※ロシア風サワークリーム)と砂糖も入れて混ぜた。

本物と、とても似ているものができた。見た目は今一だったけど。

 

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ソ連のアイスクリーム
の何種類かがユニークなものだった。

例えば、クリームのバラの載っているスタカンチークや、Lakomkaなど。

 

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Lakomkaができたのは手仕上工のおかげである。70年代に彼らは特別なノズルを発明した。そのおかげで上のアイシングを沈ませる方法のではなく、流れながら付けられるようになった。

 

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ほとんどだれも覚えていないが、トマトのアイスクリーム
というのもあった。それを食べたことのある人は一生忘れられない。とてもまずいと思う人もいれば、もう一度だけでいいから食べたいという人もいる。
紙コップに入った状態で売られていた。
味は独特。今はもう作っていなくて残念。安くて、たったの10コペイカだった。

 

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一番価値のあるアイスクリーム
とされていたのは「カシュタン」(くり)というアイスクリーム
だった。

値段は28コペイカで、そのお金で9回トラムヴァーイ路面電車に乗れた。その味は最高だった。上のチョコはなんておいしいものだったでしょう!今のチョコと大違い。今のアイスクリーム
は、噛んだら上のチョコが全部パラパラと落ちていく。乾燥したクリスマスツリーのように。
フルーツのアイス訳者おそらくシャーベットのこと。はアイスとして見てもらえなかった。

 

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ペレストロイカになってソ連のアイスクリーム
晩年を迎えた。そして1990年になると明らかに人工的多味の輸入のアイスクリーム
が川のように流れ込んだ。

本物のソ連のアイスクリーム
の味は両親の世代に思い出にしか残っていない

 

 

 

 

 

Xegel
今、いいアイス
クリーム
がないのは我々のせいだ。

 作るのは高いし、保存するのも高いし。

 高いのに変なものの入ったアイスほど美味しくない。
だからほとんどないわけ。

 Chistaya Liniyaシリーズのアイスクリーム
を食べたことあるけど美味しかったよ。

 (※訳者注:「きれいな線」という意味で、昔ながらのレシピをアピールしている)

 でも安くはない。

 

 

KAHuCTPA

 うちのおばあさんはロストフ州に住んでいたが、

 80年代にその町にアイスクリームのキオスクがあった。

 でね、アイスがなくなるなんてことがなかったよ。

 週6日間いつでもアイスクリーム
があった。日曜日は休み。
フルーツのアイスは6コペイカ。紙コップの。
ウエハースの間挟んだアイスは15コペイカ。
スタカンチークは20コペイカ。

 

 

FaridI
砂糖は入っているよね?

 

 

FaridI

 大人でも兵隊さんでも並んでいるじゃん。
俺はアイス売り場で10分以上過ごしている。

 材料を読んでいるから。 

 もう諦めて砂糖と大豆レシチンの入ったアイスでも買う。

 それ以外の保存料が入っていると買わないけど。

 

 


Dreama
私はイタリアのアイスのほうが好きだ。

 

 

 

PorkiPigs
だれも傷付けたくないけど、世界一とされていたのは誰に?

 本当に気になる。

 それしか食べられていなかったソ連の子供たち?

 

 


Lurim
記事に書いてあるじゃん。

 ソ連のアイスクリーム
は輸出していて、

 それを外国の高級レストランでかなりの値段で売っていたって。

 

 


FaridI

 材料に科学的なものとか保存料が入っていなかったことだけでも、

 十分「世界一である」ということの理由になると思う。

 今はもうないから。

 

 

 

vincentprice
科学的なものが入っていなかったのは、化学産業がそこまでのレベルじゃなかったから。

 

 


RomcheG86
どんなレベルであろうと、科学的なものを入れるのが禁止されていた。

 

 

vincentprice
おっしゃる通り。

 他のものを食べていないから世界1だと思い込んじゃうね。

 

 

FaridI

 本当に美味しかったよ。今のよりずっといい。

 


Chelyabinets

 チェリャビンスク市のアイスクリーム
工場の中に店があって、

 子供のころのと同じようなアイスを売っている。

 トマトのもある。

 

 


foxnet
記事を読んだけど、誰が、なんで、ソ連のアイスを世界1とされていたか分からなかった。  

 

 

majern
「Serebryanaya Pulya」(「銀の弾丸」)というアイスはおすすめ!

 棒についていて、アルミホイルに包んである。

 

http://i.otzovik.com/2013/07/11/471178/img/84699610.jpg

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AcerExtensa
友達のドイツ人大勢をPlombirにはまらせた。

 彼らはそれをロシア食料品店で買っている。

 東ドイツに同じアイスクリーム
が売っていたから、

 ここの人にとってロシア人と同じように子供の頃の味であるわけなんだね。

 

 

 

TrupaK
トマトアイスはこの目で見たことある。

 コップの中に入っていた。買わなかったけど。

 

 

 

metrofun
他のものを食べる機会がなかったということから始めた方がいい。

 

 


Luchemjot300
それは関係ないだろ。

 あのアイスは本当に美味しかった。

 材料は自然なものだけだったことを忘れないで。

 

 

wrigleys
比べられる対象がないのになぜ比較ができるの?
自然なものから作ってたって、今のアイスより美味しいとは限らない。
体によりいいって、そうかもしれないが、より美味しいってどうかな?

 

 

 

 

Почему советское мороженое считалось лучшим в мире

pikabu.ru/story/pochemu_sovetskoe_morozhenoe_schitalos_luchshim_v_mire_2437239

capa.me/169002-samoe-vkusnoe-morozhenoe.html