現在もカーナビに映らない?ソ連時代の秘密都市、セヴェルスク出身のデザイナーに話を聞いてきた

世界には軍事や核開発を目的とした閉鎖都市、秘密都市というものが存在します。日本ではアメリカのエリア51などがカルト的に有名ですが、実は戦前の日本にも存在しました。現在はうさぎの島として知られている広島県の大久野島は、戦前は日本帝国陸軍が毒ガス製造工場があったため、機密性から秘密都市とされ、地図に表示されていませんでした。

Ruins of Batteries in Ōkunoshima

そんな秘密都市ですが、ロシアにはなんと、普通に人が住んでいながら現在も有刺鉄線に囲まれた閉鎖都市が存在します。1940年代後半よりヨシフ・スターリンの指示により核開発を目的とした閉鎖都市がソ連各地に作られ、その街は地図から抹消されました。当時住民は住所や都市の存在を口外することも禁じられ、口外したら刑事訴追はもちろん、場合によっては…
現在は秘密にはなっていないですが、当時の名残りからか現在もロシア国内では地図やカーナビにも出てこない街も存在します。その中の1つがシベリアはトムスク州の閉鎖都市Северск(セヴェルスク)。

セヴェルスクの入り口にあるゲート
セヴェルスクはスターリン指導のもと1949年3月、ソビエト連邦政府によりウランやプルトニウムを生産する軍事工場の拠点に指定され、閉鎖都市とされ「Tomsk-7」というコードネームで呼ばれることとなります。
全部で5基あったプルトニウム生産炉は米国との協定により1~3号炉は運転を停止ししましたが、4号炉 と5号炉現在でもセヴェルスク市とトムスク市の電力需要をまかなうため、冷戦終了後もシビルスカヤ原子力発電所として稼動を続けています…

と、ネットには書かれていますが、実際には稼働していません!
現在、原子炉は全て停止しています!後述するセヴェルスク出身の中の人に聞いたので確かな情報です!!

1993年4月6日、再処理コンビナートにおいて、硝酸での清掃時にタンクが爆発する事故。爆発によって放射性ガスの雲が放出。国際原子力事象評価尺度レベル4の、操業以来、最悪の核事故が発生。チェルノブイリ以後のロシアでの最も大きな核事故が起こったことでも有名です。
さて、以前も何度かおそロシ庵に登場しているカズマさんがプロデュースする原宿のロシアブランドを取り扱うお店、BUNKER TOKYOに、なんとセヴェルスク出身の激レアデザイナーがいるというので、この度カズマさんにインタビューをしてきてもらいました。
今回はこの希少すぎるスペシャルインタビューを皆さんにお届けします。
-こんにちはVadim、あなたについて教えてください
Vadim
俺の名前はVadim Neumeykov。シベリアの閉鎖都市、セヴェルスク出身のファッションデザイナーだ。18歳までSeverskで暮らして、今はモスクワに住んでいる。
2017年にファッションブランドMad Frenzyを立ち上げ、現在来年春のコレクション制作の真っ只中だ。
この投稿をInstagramで見る

Специально спрашиваем про выходные во вторник, потому что знаем, что у вас они точно были насыщенные. Особенно у тех, кто посетил на этих выходных #faceslaces или даже их afterparty в Плутоне ⠀ Кстати об этом — что вам больше всего запомнилось? Нам выступление @pluxury_sport в костюме пиццы. ⠀ p.s MAD FRENZY теперь является партнером сайта locals.faceslaces.com, где продаются изделия абсолютно всех участников этого мероприятия. Милости просим. ⠀ #madfrenzy

MAD FRENZY | CLOTHINGさん(@madfrenzy)がシェアした投稿 –

-セヴェルスクのルールについて教えてください。
Vadim
セヴェルスクは10万人の人が住むシベリアの街だ。小さな町で、冬はマイナス40度になる。街は有刺鉄線に囲まれ、街から出るには検問所を通らなきゃいけない。
ソ連の雰囲気の残った美しい街ではあるが、街には核開発施設があって、常にどんよりした空気が流れてる。
-生まれたときから街は有刺鉄線で囲まれてたんですよね?
 疑問に思ったことはないですか?
Vadim
あぁ、正直いうと俺は生まれた時からここで育ったわけだから、これが普通だと思ってた。
俺の祖父はソ連時代の最高ランクの化学者で、原子力施設の中に個人用実験室を持っていたんだ。母も化学関係の会社にいたから、母もよく原子炉に入ってたし、それも普通のことだと思ってた。
中学生のころは原子炉についての特別な授業があった。原子炉やプラントがどのように作用するか学ぶため、多くの小学生や中学生が原子炉に入るんだ。その友達らの親はほとんどが軍人で、街を防衛してた。でもそれが当たり前で育ったから、そういう環境に疑問を持ったことは無かった。
唯一おかしいって思ってたことは、トムスクの友達をセヴェルスクに呼べないってことぐらいだ。
-なるほど。しかし街は今は秘密都市というわけでは無いのに、なぜ今も閉鎖されているのですか?
Vadim
馬鹿げてると思うだろ?だから数年前に、街をオープンにしようって住民投票を行ったんだ。そしたらなんと、80%の人が反対したんだ。信じられるか?ここに住んでる人は変化を恐れる、世界が狭い人ばかりだ。
操作されたテレビの情報だけを信じて、よそ者を受け入れない。閉鎖都市だからほとんどの人が知り合いだ。年配者は外の人との関わりを持ちたがらない。同じロシア人にもかかわらずだ。
俺はそんなマインドが好きじゃない。幼い頃は当たり前だったこの街のいろいろな部分に、歳を取るに連れて疑問を感じてきた。それでモスクワに出ようと思ったんだ。
あと秘密都市ってわけじゃないとはいうものの、今でもロシアのカーナビではセヴェルスクは無いことになっている。モスクワで会った人でセヴェルスクを知ってる人はいなかった。昔の名残りからなのか、なんとなく秘密めいた雰囲気は今も残っている。
-ある意味日本の地方に似た感じがありますね。日本も海に囲まれていますから。
Vadim
ただ問題の深刻さはおそらく全く違うと思う。マイナス40度の冬をはじめ、7ヶ月間の極夜(昼でも太陽が登らない)で街が閉鎖されているんだ。
そりゃ沢山の人が鬱で苦しんでいる。ヘロイン中毒も多く、生活も酷いものだ。もちろん放射線によるガンの問題もある。
でも誰もそれについて考えようとしない。ここではそれが普通だから、誰も何も変えようとしない。
-でもあなたはそんな中でモスクワに移り住んだりして、
 セヴェルスクの中では変わり者だと思われたりしませんか?
Vadim
・ある時俺はバーでオレンジの細いパンツを履いていたら、ある男が急に近づいてきて、いきなり殴りかかってきた。俺の友達はスキニーデニムジーンズを履いていたら、路上でボコボコにされて殺されかけたよ。今日俺はセヴェルスクに戻ったばっかりだけど、さっきも自分のブランドのコート着て空港から出た途端、みんなが振り返ったよ。カズマがSSANAYA TRYAPKAを着て現れたら、おそらくセキュリティが5人は必要だ。
Mad Frenzyのコート
SSANAYA TRYAPKAを着たカズマさん
-(笑)今度試してみたいですね。
Vadim
それと面白い話がある。俺のインタビューがHigh Snobiety(ファッション業界の超有名メディア、Mad Frenzyはファーストコレクションで取り上げられ、インタビューまで掲載された。若手デザイナーがここに取り上げられることは奇跡に近い)に掲載された時、俺は今日話してるような内容の、要はセヴェルスクの実態を話した。それがシベリアのメディアに取り上げられた時、俺はここの住民からめちゃくちゃDisられた。
「お前はゲ◯だ」「お前の服は厨二病だ」とか、クソみたいなコメントがたくさん来たよ。
ここの人はここのことしか知らない。ここの給料の平均は400ドル、モスクワの3分の1だ。なのに物価はモスクワより高いんだ。信じられるか?さっきシェービングフォームを買ったが、モスクワだと3ドルのものが、ここだと4.5ドルした。だけどそのことを誰も知らない。
-それは大きな問題ですね
Vadim
だろ?サラリーが低すぎるのに、誰も問題にしようとしないんだ。これは国内のインタビューじゃ危険すぎて言えないことだけど、こんなにガンの危険があるのに医療の問題も深刻すぎる。
街には普通の薬局もあるけど、市販の薬は高くて誰も買えない。だからみんな安い医者からもらわなきゃいけない。朝6時から何時間も並んでだ。
放射能の問題がこんなにあるのに、誰もそれを考えないようにして、医療への文句も言わない。No chanceだと諦めている。そして真実を話すと罵倒される。そんなマインドじゃこの街自体がNo chanceだ。
-そうですね。それでは人々はどんなファッションを好むのですか?
Vadim
ファッションなんて存在しないよ。小さい頃はファッションなんて考えたこともなかった。ほとんどの人は今もそう。街で売ってる中国製のありきたりな服が彼らのファッションだ。
2012年ごろからセヴェルスクでもインターネットが普通に見られるようになり、俺はネットでNIKEとかCalvin Kleinを知った。衝撃的だった。
この街ではNIKEすら買えない。デザインって概念すら無いようなスニーカーを、ショッピングセンターで買うしか選択肢が無いんだ。
俺は街を出てトムスクにスニーカーを買いに行ったりした。それでスケートボードをしたり、そういった少年時代だった。
-良い思い出ですね。
Vadim
あぁ、その頃は本当に毎日楽しかった。友達とみんなでMad Frenzyってチームを作ったんだ。アメリカっぽい名前だろ?
それで街にグラフィティを描いたり、スケートボードで遊んだ。毎日が楽しかった。俺はその頃マックブックを手に入れて、それでまた世界が広がった。
ほしい服が買えないなら、作るしかないと思った。それでMad Frenzyのチームウェアを作って、コレクションとしてみんなで撮影したんだ。15歳のころかな?

チームでSeverskの壁にグラフィティをしているビデオ
-15歳!?15歳でこれを作ったんですか!?しかも日本語!
Vadim
あぁ、昔のコレクションだから少し恥ずかしいけどな。当時ヨーロッパで日本語表記がブームだったから、日本語で書いたんだ。これ合ってるか?その頃のGoogleは適当だったからな。

-合ってますよ、ばっちり「マッドフレンジー」です!
Vadim
なら良かった。日本語を使ったのは、もちろん日本への憧れもあった。だから最初にBein open(モスクワで開催される若手ブランドの展示会)でカズマとムネを見た時は、是非ともMad Frenzyを売って欲しいと思って喋りかけたのを覚えてる。
あれもブランドの大きな転機だった。昨年日本に行ってBUNKER TOKYOのみんなに会ったのは、最高の思い出だ。原宿はみんなおしゃれだし、東京は全てがハイテクで、素晴らしい街だ。
10月にカズマがモスクワに来た時は、セヴェルスクに案内出来るよう、今手配中だ。閉鎖都市に入るはじめての日本人になれるかもしれないぜ。

-本当ですか?一緒にセキュリティも手配してください(笑)
Vadim
友達の父はほとんどが元軍人だからな、セキュリティには相応しい。俺の友達はマジでクールだ。昔から仲良しの奴らは、今でも本当に中が良い。
そういえば俺の学校の名前はガガーリンだ。ガガーリンスクールで、4月12日にはみんなでお祝いしたのも、輝かしい思い出だ。
ガガーリンスクールの看板
-良い思い出がたくさんありますね。なぜあなたはモスクワに行こうと思ったんですか?
Vadim
セヴェルスクにはデザインやファッションの学校も無い。俺はテキスタイルやデザインを学びたかった。もともとセヴェルスクにずっといようとは思ってなかったし、まずはモスクワに行こうと思った。閉鎖都市からモスクワに移り住んで、一気に世界が広がったよ。
-やはり初めてのモスクワは衝撃的でしたか?
Vadim
最初は慣れるのに時間がかかった。閉鎖都市から来て、モスクワのスピード感にも戸惑った。
でも俺はいろんな所に行くようにした。赤の広場から5分の学校に通い、毎日街中を歩いた。すぐに慣れたよ。
大きな街で行くところもたくさんあり、人々も街も美しくて最高だ。博物館や美術館に行きまくった。プーシキン美術館の別館、西洋の近代アートの館が一番のお気に入りだ。
モスクワに引っ越して3ヶ月後、初めてファッションのイベントに行ってみた。そこでなんと、憧れのゴーシャ・ラブチンスキーに会ったんだ!信じられるか!?俺はその時18歳で、閉鎖都市から出てきたばっかりだ。いきなりロシアファッションの大スターに会うことが出来て、他にもいろいろなオープンマインドな人々に会った。閉鎖都市とは全てが全く違ったよ。
全てがトントン拍子に進む。時々静寂が恋しくなるが、そのときは今みたいにセヴェルスクに帰ってくればいい。
Gosha RubchinskiyとРассветでお馴染みスケーターのTolya TitaevとVadim
-Mad Frenzyのターゲットとなるのはどの世代の人ですか?
Vadim
Mad Frenzyはロシアでは、15歳のストリートキッズから、50歳のITビジネスマンまであらゆる人が着ている。有刺鉄線の中で育った俺だけど、今はインターネットのおかげで世界中の技術をどこにいても共有できる。コートはイタリア製ウールを使ってるし、コットンはトルコの最上級、ジッパーは日本のものを使っている。プリントや装飾のクオリティも大事だ。
俺はアイテムに寄っては荒々しく退廃的なプリントを用いるけど、そういう時は工場に出向いて何度もクオリティチェックを行う。
退廃的なデザインをハイクオリティで作ることが、幅広い層に受け入れられる要因だ。人はものを選ぶ時、若いときは質よりデザインを求める傾向にあるが、歳をとってくると品質に重きを置くようになる。その双方があるべきだ。
-なるほど。ちなみにあなたは自身のセヴェルスク時代のバックグラウンドが、
 自分のデザインに影響していると思いますか?
Vadim
良い質問だ。デザインを始めた頃、モスクワに引っ越したころは、俺は自分のバックグラウンドがダサいと思っていたから排除したかった。できるだけ都会的でアメリカナイズされたデザインを好んだ。自分に無いものだったからな。
だけど何年か続けて、それは排除できないどころか、セヴェルスクで経験したことや、自分の見た光景が自分のデザインに多大に影響していることに気づいた。これはさっき窓から外を見て気づいたことだが、セヴェルスクの街は、長方形の大きな家と緑でできている、非常に幾何学な街だ。
俺のHydraのデザインを見てみると、長方形にグリーン、そして囲んでいる糸はセヴェルスクを囲む有刺鉄線のようだ。
そしてMoonのデザインは、セヴェルスクで長い間見る固まった汚い雪に似ていることに気づいた。もちろん俺はこれを思い返してデザインしたわけじゃない。だけど俺は人生の大部分セヴェルスクで過ごしたわけだから、無意識のうちに俺の中にいろんなデザインソースがインプットされていて、今はそれを素直に受け止めてるんだ。
Vadim氏の部屋の窓から見えるSeverskの風景
SS19 Hydraのデザイン。視覚的にセヴェルスクの街並みから影響を受けている。
シベリアの溶けずに固まった氷
SS19 moonのデザイン。
-最後に、Mad Frenzyを今後どのようにしていきたいですか?
Vadim
Mad Frenzyは強いルーツを持ったコンセプチュアルなブランドにしていきたい。より自分のルーツや背景を押し出していくんだ。2020年はストリートテイストから脱却して、より難解なデザインに取り組んで行きたい。シベリアのリアルを世界に見せていくよ。次のコレクションのテーマはТайга(タイガ、シベリア地方の針葉樹林)だ。シベリアの大自然と、そこに生きる人々のストーリーを見せるよ。こういったバックグラウンドを持っているものにしか出来ないものを、ファッションを通して見せていきたいと思う。
このように、現在は秘密にはされていませんが、半分閉鎖しているも同然なセヴェルスク。この秘密都市で暮らす現在の若者事情の一部を少しでも皆さんに伝得ることができたんじゃないかなと思われます。
今回インタビューしました、秘密都市セヴェルスク出身のデザイナー、VadimのブランドMad Frenzyの新作、セヴェルスクTシャツが、原宿のBUNKER TOKYOの限定デザインとして発売されます。
セヴェルスクのモニュメントや、市章が使用されたデザイン。
これらのシャツは、7月14日のBUNKER TOKYO一周年記念の日にあわせて発売されます。
13~15日は3日連続イベントを行うそうなので、ぜひ皆さん足を運んでみてください。
ちなみに!おそロシ庵デザインのノベルティがTシャツとセット販売されます!
セヴェルスクの市章が押せまくる「秘密都市印」
これで秘密都市に入り放題?セヴェルスクをイメージしたパスポートケース
そして、
ダジャレを思いついて5秒で作ったソビエトート!!
※画像は全てイメージです
このMad Frenzyシャツとおそロシ庵のハンコ、パスポートケース、トートの秘密都市セットは数量限定で14日に発売予定!
それぞれのアイテムを個別に買うよりお得になるのでこの機会に是非!
今回の記事の内容はこちらのBunker TokyoのYoutuber、むねぴーによって動画でも紹介されています。
動画じゃなきゃ頭に入ってこないぜ!っていう現代っ子の皆さんはこちらもご覧ください。

ビジュアルストーリー 世界の秘密都市
ジュリアン・ビークロフト
日経ナショナルジオグラフィック社
2019-05-23