ソ連時代は空手が大流行!空手人口が600万人も!!

先月、4月29日に行われた第2回ソ連ナイト。今回も満員、しかも前回に引き続きまた入場者数を更新したらしいです!これもカルカルが渋谷に移転したおかげでしょうか?集まってくれてた皆様どうもありがとうございました!
 
今回の記事ではそのソ連ナイトで少し紹介したソ連の空手事情について簡単にまとめて行こうと思います。
 



 
 
1960年代、ソ連で空手ブームが起こりました。
これはフルシチョフの「雪どけ」の時期で、ソ連の国際関係が広がりつつある時期でした。それによりスポーツ関係の外国とつながりも広がっていき、空手も注目されるようになっていきました。
空手は瞬く間にソ連全土に広がり、各地に道場ができ空手を気軽に習うことができました。しかし、本当の空手を知る人はごく僅か。本物のコーチはとても少なく、ほとんどの道場は自己流の空手を生徒たちに教えていました。
 
 
 
1978年11月、「ソ連における空手という格闘技の発展について」というルールがソ連スポーツ委員会から発表され、その1ヶ月後にはソ連初の空手協会が誕生。そしてソ連で初めての空手大会がウズベキスタンのタシケントで開催。強いチームはモスクワ、レニングラード、チェリャビンスクに集中していました。
 
 
更に本格的な空手ブームが起こったのは1979年以降のこと。『20世紀の海賊』という映画が公開されるとともに最大の空手ブームがソ連に巻き起こった。この映画の主人公はカラテマスターで、演じた役者本人も空手のチャンピオンでした。
映画公開後、空手入門者の数は爆発的に増え、道場の数が足りず全ての希望者を受け入れることができなくなるほどだった。当時、ソ連の空手人口はなんと600万人も居たという。
 
この『20世紀の海賊』という映画の空手シーンを集めた動画がYoutubeにあったので紹介しておきます。

これは空手なのか?と言う疑問が残るがたしかにこれを見たら真似したくなる。ジャッキー・チェンに憧れるのと同じような感じだと思う。というか、この映画自体が空手じゃなくてカンフーのような気もするが…

 
 
この空手ブームが続くなか、80年代初頭にソ連政府が空手を「怪しいもの」として見るようになり、やがて政府は空手を禁止とした。空手を教えると罰金を取られたり逮捕もされた。
1981年11月10日、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国最高会議幹部会が「空手訓練規則違反行政責任について」、「違法空手訓練の法令改正と追加」という2つの法令を出した。
この法令によると、道場を開くのではなく、友人に教えた場合でも逮捕されることとなっていた。
1度目の違反で2年間の懲役+罰金。2度目で5年間の懲役+所有物没収となった。『20世紀の海賊』の主人公を演じていた役者、タデウシュ・カシャノフも逮捕され1年と5ヶ月を刑務所で過ごした。
 
なぜそこまで空手が嫌われたのか?いろいろな意見がある。
例えば、モスクワで共産党モスクワ委員会会長の息子が道端で殴られた。空手を覚えた丈夫な若者は犯罪組織などに入りやすいのではという心配もあったと言われている。
 
ソ連における空手のパイオニアの1人、佐藤哲夫という人物がいた。彼は道場を持ち、警察などにも協力していた。さらに道場の支部がKGB学校にもあったという。面白いことに彼は空手が禁止されていた当時も普通に空手の活動を行っていた。
 
 
空手が禁止されていたのは80年代終わりまで。
1989年に空手のヨーロッパ大会にソ連の選手が出場。同年、「ソ連東洋格闘技委員会」が発足。それから二度と空手が禁止されることはなかったが、禁止期間中にブームは静まり、70年代後半のような空手ブームが起こることはありませんでした。