ソ連の謎を10個紹介します

ソ連の歴史の謎を取り上げた記事を紹介します。

 

以下翻訳です

ソ連の歴史の最も大きな謎

Главные загадки истории СССР


 
 
ソ連70年の歴史で、謎なことがたくさん起こった。
その中の一部は明らかになったが、一部は激しく議論されている。
01
 
 
 
USSRという名前はどこから?
 
1913年、レーニンは中世のばらばらな状態からからの社会主義的な団結への大きな一歩を夢みていた。
帝国が崩壊したあと、この団結が特に必要となった。
スターリンは、革命でできた独立した共和国をロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の中に入れることを提案した。
レーニンは逆に、同権の共和国の連盟を提案した。
1922年12月30日、モスクワで全ソビエトの会議があり、レーニンの提案を基に宣言を作った。
ソ連の社会主義共和国の団結について。
中にはロシア・ソビエト連邦社会主義共和国、ウクライナ共和国、ベラルーシ共和国、コーカサス共和国が入っていた。
憲法によると、自由に連盟から出ることができ、また、ほかの国と自由に外交関係を作れた。
02
 
 
 
工業化をスポンサーしたのはだれ?
 
だめになった農業と工業をなんとか立て直したソ連のトップは欧米の国へ追いつくことを目標とした。
そのために早く工業化をしなければいけなかった。
そのためにはお金がたくさん必要だった。
 
1928年、スターリンは強行された方針を選んだ。
2回のピチリェートカ(※五カ年計画、2回で10年。)で欧米との差をなくすことだった。
お金は農民から出すことになっていたが、足りなかった。
国はお金が必要だった。国は様々な方法で手に入れようとした。
例えば、エルミタージュ美術館の絵を売ったりした。
ほかにも財源があった。たとえば、アメリカの銀行のローンだ。
03
 
 
 
 
なぜスターリンはボリシェヴィズムをやめたのか。
 
ボリシェヴィキ:ボリシェヴィキ(большевики、bol’sheviki、「多数派」の意)は、ロシア社会民主労働党が分裂して形成された、ウラジーミル・レーニンが率いた左派の一派。ボルシェヴィキ、ボルシェビキとも呼称される。
権力を全て握るとスターリンはボリシェヴィズムを離れた。
レーニンの仲間を排除していったこともその証拠である。
10月革命の多くのアイディアには生命力がなかった。
例えば、共産主義は遠い目的となって、まずは社会主義にならないとだめということになった。
ボリシェヴィズムの「すべての権力はソビエトへ!」というスローガンは消え、スターリンは、「社会主義とは、権力が一人の手にある」という考え方をするようになった。
国際主義の代わりに、愛国主義が強くなる。
歴史的人物が名誉を回復し、宗教を信じている人への攻撃は禁止となった。
歴史学者はなぜスターリンがボリシェヴィズムから離れたか議論している。
ある人は、国を結集させるためと考えているし、また違う人は、政治的方針を変えるためだと考えている。

04

 
 
 
スターリンはなぜ1937年に大粛清を始めたのか。
 
1937-1938の大粛清は学者にとっていろいろ不明なことがたくさんある。
スターリンが関わっていたということはほぼ間違いないが、犠牲者の数については意見が異なる。
100万人殺されたという意見もある。
理由についても議論されている。
歴史学者のジューコフ氏によると、大粛清の原因はスターリンと地方の自治体の対立であるという。
一方、もう一人の歴史学者テプリャコフ氏は、大粛清がスターリンに計画され準備されたものであったと考えている。< /span>
フランス人の歴史学者、Nicolas Werthによると大粛清は社会エンジニアリングだったという。
ドイツのKarl Schlögelの考えでは、大粛清の大きな目的は敵を排除することだったが、多くの人が自分の問題を解決するためにそれを利用したという。
05
 
 
 
 
なぜ第二次世界大戦の最初の数か月、強い赤軍が負けていた?
 
第二次世界大戦に参加してから数か月間、赤軍の状態は大変だった。
開始からから1941年7月10日までの間、赤軍の850,000人が殺された。
歴史学者によると、様々な要素が相まってそういう結果になったという。
特に大きな理由となったのは、ソ連軍の配置である。
国境を守るのではなく、ドイツを攻めるための配置であった。
梯団に分けてあったため、ドイツ軍が侵攻しやすくなっていた。
また、参謀本部の過ちも最近取り上げられるようになった。
Soloviev、Kirshinなどの研究者は、スターリン、ジューコフ、ヴォロシーロフのせいだとしている。
戦争の実質が理解できず、計画を間違え、ドイツ軍の攻撃の方向を予想できなかったとされている。
06


 
 
なぜフルシチョフはスターリンの個人崇拝を批判したのか
 
1956年2月25日、ソ連共産党の10回目の会議でフルシチョフが、「個人崇拝とその結果」というスピーチをし、スターリンを激しく批判した。
大体正しいことを言っていたが、歴史的な公平を正したかっただけではなく、自分の目的があったという。
 
例えば、ウクライナでの弾圧に関してすべてスターリンのせいにしたら、自分の責任を免じることができる。
「スターリンに対して言い出した批判と、弾圧の犠牲の復権によって、国民の怒りを収めようとした」
とアメリカの歴史学者のグローバー・ファーが語る。
他の説もある。
スターリンの批判は、ソ連共産党政治局の員であるマレンコフ、カガノーヴィチ、モロトフとの戦いにおける武器だったと言う説だ。
07
 
 
 
なぜクリミアをウクライナに渡した?
 
1954年にクリミアをウクライナに渡した。
今でもその影響を感じている。
その合法性だけではなく、その理由も問われている。
説は様々あり、一つはアメリカの銀行ローンの利子としてアメリカに渡すことを避けたということである。
また別の説によると、ペラヤースラウ会議の300周年記念のプレゼントだったという。
他には、農業に適していなく、ウクライナの近くあること。
国民経済の復活につながるはずであったことなどが上げられている。
08
 
 
 
 
なぜアフガニスタンに軍を入れたのか?
 
アフガニスタンにソ連軍を入れた妥当性について、ペレストロイカ直後に議論された。
15000以上の兵士が亡くなったわけで、品行方正的な視点からも批判されていた。
「友好的国民アフガニスタン人への援助」という発表された理由のほかにとても大きな理由があったことが明らかである。
KGBのもと少将、ドロズドフはアフガニスタンへの進駐が必要だったという。
何故かと言うと、アフガニスタン国内で反ソ連の動きが活発になってきたからだという。
09
 
 
 
 
なぜペレストロイカが実行されたか。
 
1980年代半ばにソ連の経済が危機状態に至った。
農業が壊れ、商品不足、工業の停滞などの問題を解決しなければいけなかった。
アンドロポフの命で改革が考えられたが、最初提案を出したのはゴルバチョフであった。
「我々、みながやり方を変えなければいけないようだ。」
というゴルバチョフの言葉がメディアによって広まって、スローガンになった。
意識していたかどうかわからないが、ペレストロイカの影響でソ連が崩壊したということが批判されている。
ある専門家によると、エリートたちが財産を手に入れたかったのでペレストロイカを考えたという。
しかし、別の専門家はペレストロイカが出来たのは欧米の情報機関の活躍の結果だと考えている。
ペレストロイカを行った人たちは、社会経済的な改革に過ぎなかったと主張している。
10
 
 
 
ソ連8月クーデターの裏にだれがいたのか?
 
1991年8月20日、ソ連の共和国の新しい立場を決める条約をサインする予定だった。
しかし、クーデターので中止になった。
当時、クーデターの主な目的はソ連を保存することだと言ってた。
国家非常事態委員会によると、不景気を乗り越えるためだと言ってた。
今は8月クーデターを、劇だと言っている専門家が多い。
それを実行したのはソ連崩壊を望んでいた者。
「1991年のクーデターは、エリツィンとゴルバチョフがやった芝居だった」という意見もある。
しかし、一部の専門家によると国家非常事態委員会はゴルバチョフをなくし、エリツィンを入れさせないために行ったという。
 
以上
11
 
 
 
 
 
tehnomag
 俺にとって一番大きな謎は、なんでスターリンが1945年にアメリカまで行かなかったのか?
 実力と政治的な意志があったのに。
 
 
 
Декoратор
 >tehnomag
  人が足りない。
  エカテリンブルグは、戦争で41772人の市民が死んだ。
  弾圧の間は、18500人の市民が殺された。
 
 
 
Ржевский20
 >tehnomag
  アメリカは原子爆弾を持っていたが、ソ連は持っていなかったから。
 
 
 
tehnomag
 >Ржевский20
  悪いけど、爆弾を運ぶ方法も当時なかった。
  ソ連との戦争は爆弾1個では勝てない。
  ソ連軍はすでにヨーロッパに行っていた。
  しかも大きな戦争の経験をもって。
 
 
 
Blackbriar
 >tehnomag
  そうしたら、疲れているドイツではなく、欧米世界全般と戦わなきゃいけなくなったから。
  そこまで力がなかった。
  それに、自由をもたらすものから、侵略者になっちゃうからイメージも悪くなるし。
 
 
 
Glafir
 アメリカ人は爆弾を持っていても、運べるのは重い飛行機じゃん。
 そういう飛行機はロシアまできっと飛べなかったにちがいない。
 
 
 
MimoSmysla
 謎が多い。
 ソ連の一番大きな問題は、臆病でバカで教養のないトップだ。
 彼らのアホみたいな行動のせいで国が崩壊した。
 ゴルバチョフなんか、ロシア語を正しくはなせないし。
 政府におけるウンコ野郎のいい例だ。
 
 
 
vasek005
 ほ
かの謎はどこ?
 なんでソ連の人はみんな兄弟のように暮らしていた?
 なんで第二次世界大戦のとき、国民のみんなが勇者になった?
 戦争の前、なんで経済が70倍高くなったのか。
 戦争のあとはどうやって5年間で復活したのか。
 こういう謎は多い。いい謎。フルシチョフとかについての謎ではなくて。
 
 
 
Kalmar1
 この情報はすごく表面的で、歴史の知らない人しか信じない。
 ちゃんとした本を読まなかった人。
 マンガふうに書いてある。
 多くの人にとってこんな謎とその解決だけが知識の泉になるのは非常に残念。
 
 
 
gaschekser
 一番簡単だけど未だだれも答えてくれない疑問。
 あの時代、ソーセージをどこ隠していたの????
 
 
 
 
yaplakal.com/forum2/topic1125796.html