ウクライナの写真家が同じベンチを4年間撮り続けた記事を紹介します。
以下翻訳です。
ベンチという被写体は写真の歴史で新しいわけではない。
有名な写真家のほとんどは喜んでベンチで起こる出来事を撮影している。
彫刻家はベンチを彫刻にする。
Herluf Bidstrupの漫画を思い出そう。
ベンチは世界の縮図だ。全てがベンチの周りを回っている。
行く場所の無い愛情があふれているカップルがベンチを探す。
アル中とホームレスはベンチのない生活なんて考えられない。
-ベンチは彼らにとって家、食卓、トイレ、ベッドである。
子供は常にベンチを壊す。
受験生は足りない知識をベンチに座って飲み込んでいる。
年寄りはベンチの上で最後の日々を過ごしている。
コテンコ氏が選んだのは、並木にあるベンチやら公園のベンチやらではない。
自分の家の前でベンチを見つけた。醜くて傷だらけ。
マンションの管理人の力で青に染められて、赤に色変えられて(または逆)
常に週末を経験している。
ぎこちなく、滑稽に見え、その周りはいつも吸殻、ひまわりの種の殻、空き瓶などのゴミの山。
面白いことにある日突然その隣にゴミ箱が現れた。
最初は灰色だったけど、後に適当に色をつけられた。
ゴミ箱は消えた、りまた現れたりしてた。
しかし、ゴミの量減らなかった。
コテンコ氏は4年間に渡りベンチでの出来事を写真に記録してきた。
すると、シェイクスピアの描いたような劇が出来上がった。
人間だけでなく、犬と猫も出てくる。
おなかのすいてる動物たち。
このベンチの上で死と命が並んで座ってお互いを馬鹿にしてからかっている。
監督はバッカス、ディオニューソス。
芝居で唯一の客である写真家を笑わせようとしている。
しかしその芝居は軽蔑的である。
それは写真家にも移り、写真は皮肉で潔癖。
盗み見は見ている人の好奇心を刺激する。
見ている人は許されていないことをやっている。
窃視症のように気持ちがいい。
コテンコ氏はスパイだ。
ただ写真を撮影しただけではない。
ウクライナの社会層を研究していた。
彼のベンチは傷のようだ。
写真家は神様のように上からベンチと人間を無関心に見つめている。
むしろそれは神様があそこにベンチを置き、写真家に関心を持たせた。
人間は泥から出てきたと我々にまた教えるために。
гудвин
もうちょっと続けて、「四季」と名前付ければいい。
Kyky
人間は変わるけど犬は残ってるね。
Петр
>>Kyky
人間は変わるけどビールは変わらないよwww
Андрей с Петроградки
この写真家は危ない街に住んでるな。
Mari
犬は一番いいね。ベンチの天使。
Roots
この写真、カバンは明らかにその二人のものじゃないよね。
Felix
なんという街でしょう。
Пахан
これ、男は女の口に入れてるのかな?)))
Октябрь
>>Пахан
40cmあればそうかもね。
Евгений
ベンチをすべて壊してしまえ。
Haha
このプロジェクトは写真家をバカにしてるのか?
manhunt
これ、ランニングシューズを盗まれたのか?
Александр
>>manhunt
違うよ、スリッパを二人で使ってるんだよ。
一人が倒れたらもう一人が起きて履くんだ。
Фотопроект Жени Котенко “Лавочка”
bigpicture.ru/?p=338357