青いチキンって??ソビエト時代のロシア人が語る鶏肉の話を紹介します!

ソビエト時代のものが少なかった頃の鶏肉の話を紹介したいと思います。

妙に青い鶏肉が多かったそうですが、どんな青さだったんだろう?

 

以下翻訳です。

 

チアノーゼチキン

Синюшная курица

 

 

 

子供の頃、チキンが好きだった。ソ連時代はチキンが珍しいものだった。チキン料理をしようと思えばかなり苦労をしなければならなかった。

田舎に住んでいたから店で買う事は可能だった。だけど店に入荷したとたんに長い行列ができ、すぐ売り切れていた。だから一回で何個か買うようにしてた。入荷も毎日ではなかった。時々「一人2個まで」「一人4個まで」と限定されることもあった。より多くの人が買えるように。

01

店に来て列を見たら、「何で並んでいる?」と聞く。

 

列の中から「チキンを投げ出したよ」という返事。

私は「お母さん、なんでチキンを投げ出すの?」と分からない表現の意味を訪ねていた。

 

列を並びチキンを買い家に帰る。時には太っている良いチキンだったり、時には小さくて痩せていて青っぽいチキンだったり。そして、売られているチキンはまるごと一羽。羽がなかっただけで、頭も足もついたままだった。料理をするまで、まだまだ長い道のりだった。

 

まずは表面の毛を焼かなければいけない。ガスコンロの上にチキンを持ってきて毛が残らないように火にあてた。家の中はやけどした皮膚の匂いが広がっていた。ほとんどが内蔵が入ったままのチキンだったので、内蔵を出して、美味しくないパーツを切り落とす必要があった。主婦たちにとって気持ちのいいことではなかった。終わったら今度は食べられるところを切っていく。骨でスープを作ったり、少ない肉でおかずを作ったりした。痩せていて青っぽいチキンはおかずにならないからスープのみ。

 

 だからチキン料理をすごく美味しく感じた。単に茹でただけのチキンでも子供のころは大好きな料理だった。皮も首も手羽先も喜んで食べてた。

 

チキンを食べながらスリングショットの形をした骨を見つけ出す。見つけたら誰かと「持って、覚えて」というゲーム(二人で)をした。それを2つにわって、負けたら何をするか決めてた。ルールは、一人が相手に何かを手渡すたびに「持って、覚えて」と言って、受け取った方が「持った、覚えた」と言わなければいけなかった。何かを手渡す、受け取る時に言うのを忘れた人が負け。負けたら最初に決めたことをする。

02

小さいとき、おじいちゃんとよく遊んでた。私はあまりご飯を食べない子だったから、大体、負けたらスープを食べるという条件をつけられていた。そしてやはり負けてスープを食べていた。チキンスープ。

 

 

 

 

IS-2

 もう一つのソ連の言葉を思い出した。

 珍しくて手になかなか入らないものについて「
достать
(※手に入れるの意)」と言ってた。

 「どこで
достать
たの?」というふうに使ってた。

 

 

 

Roman

 チキン料理を作る過程がドラゴンスキィの『デニスの物語』という本に詳しく載っている。

 うちの息子はその話が大好き。

 子供の頃、母がチキンスープを作っていると部屋がチキンの香りでいっぱいだった。

 今のチキンはチキンの匂いしていない・・

 

 

 

Андрей
肝臓と心臓をフライパンで焼いて食べてた!

🙂

 

 

 

Lila

 母がチキンの足をストックして、煮凝りを作ってたの覚えている。

 足を炙るって、硬い皮をむいて、冷凍した。

 充分たまったらそれを茹でて、食べられる肉も加えたら最高のゼリー寄せが出来上がり。

 特別な日に作ってた。飾りとして人参とパセリを使ってた。

 

 

 

georg_1978

 84年あたり、母とウクライナからウラジーミルまで電車で行った。

 親戚の結婚式に。

 田舎から都会の人にいろいろ食べ物を持っていく習慣があったので、

 キューバの袋からできたバッグにチキンを5個突っ込んで持っていった。

 それを料理し始めると隣の人がドアのベルを鳴らして、

 「どこでチキンを手に入れたの??」って聞いてきた。

 

 

 

Наталья
そのゲーム、父と遊んでた。負けた人は食器を洗う。

🙂

 

 

 

Бауржан
チキンを買うように並んでた列の中でこんな会話があった。

 「どこのチキン?」「エキバストゥーズ養鶏所から」

 「なんでこんなに青いの?」「歩いてきたから」

 

 

 

Татьяна
うちの町で養鶏場ができたばかりのころチキンがたくさんあった。

 半年くらいすごくたくさん売ってた。

 でも工場の営業がちゃんと始まったらもうチキンを見なくなった。

 ローカル新聞紙に、モスクワでいかに人気なのかを自慢してた。
あと、本当に、なぜあんなに青かったんだとう?

 そういう種類?それとも餌が少なかったから?

 

 

 

Лидия

 今でも気になる。なぜあれほど青かったんだろう。

 餌が変だったのか、それとも鶏が自然に死んでたのか。

 茹でるのにすごい時間かかってたが匂いはよかった。

 

 

 

Денис

 読んでいると感動の笑顔になるね。

 なつかしいい。「なんでチキンをなげたの?」って質問、面白い。

 

 


Мари
今の遺伝子組み換えのやつと違う!

 

 

 

максим

 俺は田舎育ちだからチキンは地元のものがいつもたくさんあった。

 色んな種類のチキンを簡単に買えてた。

 料理もいろいろしてたが、おばあちゃんが忙しくてまるごと茹でちゃうときもあった。

 そして、俺は学校から帰ってそれをまるごと食べてた。

 羨ましいだろ?

 今日と違って珍しい食べ物に思わなかった。

 

 

 

Евгений

 青いチキンって自然だ。

 今は白くするためにクロル石灰に漬けるんだ。

 

 

павел

 そう、チキン、ソーセージ、肉など、本物で質もとても高かった。

 魚もイワシとかうちの冷蔵庫がそれでいっぱいだった。

 給料もらったらスモークソーセージを3、4本。普通のソーセージも2本くらいいっきに買ってた。

 だから店になにもなかったと思う。

 安かったからみんなたくさん買い占めてた。

 もしそのときもう少し高かったら店には物が残ってたと思う。

 今なんかニシンがバケツ1杯入荷したら、一週間それを売っている。

 ソ連時代は樽で魚を店に運んだら2~3日でもうなくなってた。

 次の週また入荷してたから、「なにもなかった」というわけではない。

 今こそない。というのは、同じようなものがなかなか見つからない。

 

 

 

Alex

 俺は田舎で育ったからなんとも言えない。

 チキンも豚も牛も飼ってた。

 だから肉、卵、牛乳は充分にあった。

 

 

 

Оленка

 チキンのゼリー寄せが大好き。

 それを人参とパセリで飾るのはシンプルで最高だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

Синюшная курица

20th.su/2011/07/12/sinyushnaya-kurica