ソビエトビールの歴史とステキなデザインのラベルの数々を紹介します!

ソビエトビールの歴史をラベルとともに紹介した記事です。

おそらく、ここまでソビエトのビールの歴史を日本語で紹介したものはないのではないかというくらい細かく紹介できてるのではと思います。

マニアにはたまらないはず?(むしろマニアなら知ってて当然のことかな?)

ソビエトビールマニアが日本にいるのかどうかわからないけど・・・

 

それでは以下翻訳です。

 

 

 

ソビエトのビールの歴史

История советского пива

 

 

 


1920年代

ソ連ビール造りの誕生日は1922年2月3日だとされている。「ビール、はちみつ、クワス、ジュースの物品税について」という法令が署名された日である。丁度そのときはネップも始まったので、個人営業が割りと自由だった。その結果、大きなビール工場の他に小さな工場を借りてビールを作る人もたくさんいた。

ネップ:Wikipediaより

ロシア内戦直後にソビエト連邦で行われた新経済政策。食料税の導入と税納付後の残余農産物を市場で自由に売買してよいこと(市場原理の部分的導入)が特徴。


さて、当時どのようなビールが作られてたのでしょうか。革命の前からあったドイツ風の「バイエルン州」、「ミュンヘン」、「クルムバッハ」、「エクスポルト(※”輸出”の意)」、アルコール度数の高い「ボック」。オーストリアとチェコ風の「ウィーン」、「ボヘミアン」、クラシックな「プルゼニ」とその濃いバージョンである「エクストラ・プルゼニ」

イギリス風に黒くてどっしりしているポーターと明るいpale aleを作っていた。密度が低く経費あまりかからない「ストロボエ(※”テーブル”の意)」、黒い「マルトフスコエ(※”3月の”の意)」がとても人気だった。ロシアで考えだされた種類もあった。例えば「カビネトノエ(※”書斎”の意)」、「ダブルゴールドラベル」など。しかしそれらはヨーロッパの影響で作られたものであった。


唯一ロシアのオリジナルの種類は「チョルノエ(※”黒い”の意)」とそのバージョンの「黒い・ビロード」だった。このビールはロシアのクワスと同じように発酵し切らないようにして作られていた。密度が高いものの、アルコール度数は低く、ヨーロッパでは殆ど知られていなかった。

 

※クワス:黒パンを発酵させた微炭酸の飲み物。ロシアで広く好まれている。

 

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1920年代の終わり頃にネップを終わらせる動きが出始めた。ビール造りに関わってた個人営業を潰し始めたのだ。ビールの初めての標準規格であるOST61-27が制定された。その規格によると、4つの種類のビールを作ることが勧められた。プルゼニに近い「スベトロエN1(※”明るい”の意)」、ウィーンに近い「スベトロエN2」、ミュンヘンに近い「チョムノエ(※”暗い”の意)」とロシアならではの「チョルノエ(※”黒い”の意)」という種類で、「チョルノエ」はアルコール度数が1%しかなく、クワスと同じだった。

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1930年代

1930年代の半ば頃。新しいOST規格をつくろうとしていた。ヨーロッパ風の種類をもっと作るようにしたかった。当時、ビールの種類を決めるのに一番大事だったのは麦麹だった。「プルゼニ」を作るために明るい麦麹を使い、「ウィーン」のための麦麹はもっとじっくり煎ったものでより暗かった。「ミュンヘン」は暗いミュンヘンの麦麹を使っていた。

 

水も大事だった。「プルゼニ」を作るためにはとてもやわらかい水が必要で、「ミュンヘン」の場合はもう少し固い水を使っていた。しかし結局OST規格には違う名前が載ってた。全ソ連博覧センターでジグリー工場の作った「ウィーン」ビールが優勝し、外国の呼び方よりも工場の名前を使おうという提案が出て、名前は変更された。


麦麹を色によって3つに分けた。「ロシア」(以前のプルゼニ)、「ジグリー」(以前のウィーン)、「ウクライナ」(以前のミュンヘン)。したがって同じようにビールの名前も変わり、「ロシア」、「ジグリー」、「ウクライナ」となった。それらの名前は工場の名前でつけられていた。「ジグリー」はサマラのジグリー工場、「ロシア」はロストフ・ナ・ドヌの工場で、「モスクワ」はモスクワにあった工場、「ウクライナ」はハリコフとオデッサの工場のビールだ。


そのほかにOST350-38に前の名前のままのビールも載せた。例えば、ワインとキャラメル味の密度の非常に高い「ポーター」、1.5%というアルコール度数の低い「マルトフスコエ」と「キャラメル」など。アルコール度数の低い方は子供と母乳栄養中の女性にさえ進めていた。


以上の8種類がソ連崩壊まで作られていた。崩壊を生き抜いたビールもあった。
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「ソユズノエ(※”ソ連の”の意)」、「ポリャルノエ(※”北極の”の意)」というビールも作っていたが、「モスクワ」と同じようなビールだったので、生産中止となった。エール風のビールも作ろうとしていたが戦争が始まってできなくなった。

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戦後


1944年に「リジスコエ(※”リガの”の意)」という種類を創りだした。「ロシア」と同じようなビールだったので、「ロシア」をやめることにした。他の種類はそのまま残った。
そのときから殆どのビールを下面ビール酵母で生産するようになった。


戦争で壊された工場などを建て直し始めた。1930年代にビールの生産が3倍になったのに対し、1946年には半分以下のレベルに落ちていた。ボトルのビールが少なく、店での注ぎ売りがメインだった。バルト三国がビール生産においてリードしており、主に「ジグリー」を生産していた。場合によって生産してたビールの90%までをジグリーが占めていた。


フルシチョフの雪解け時代にやっと変化が起こり始めた。行政局などの改造が行われ、ビールのGOST規格の代わりに共和国基準を作った。おかげで生産しているビールの種類も増えた。多くの工場が自分だけのオリジナルを生産しはじめた。100種類以上になった。


ロシアだけではなく、ウクライナ共和国、ベラルーシ共和国、バルト三国でもビールの種類が多く、地方・首都・大きな町などの名前をつけていた。当時、麦麹以外のものを入れるようになり様々な味を作れるようになった。例えば、大麦、米、トウモロコシ、大豆、砂糖の様々種類を使い、ソ連ビールならではのレシピを作り上げた。

 

1950-1960年にザポリージャとリヴィウで酵母工場が開かれ、麦麹以外の材料の割合を30~50%まで上げることができた。

 

当時生産を始めたビールの中に、針葉エキスを使った「タイガー」と「マガダン」、ねずの入ったエストニアの「カダカ」、はちみつの入った「ペレヤスラフスコエ」と「ロメンスコエ・プラズニチノエ」、麦芽されていない小麦が50%入った「リュビテルスコエ」など。いろいろな新しい種類を大量に考えだす工場もあった。例えば、チュメニ州のIsetsk工場でドイツのボックを真似て「イセトゥスコエ」ビールを開発。現在も生産している。


他にも、「ウラル」という密度の高い、暗くてワインのような種類と「スヴェルドロフスク」という発酵しきった明るい種類が現れた。

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ソ連ではビールを発酵しきろうとしていたが、技術が不足していて、同じ密度でも今のビールよりアルコール度数が低かった。100日間までかけて発酵していたのに。モスクワで「ダブルゴールドラベル」をまた生産し始めた(名前を「ダブルゴールド」に変更)。少し経つと密度の高くて明るい「我々のマーク」と「モスクヴォレツコエ」と暗い「オスタンキノ」を生産し始めた。
ハモヴニキで「リョフコエ(※”軽い”の意)」というクワスのような伝統的なビールも作っていた。


ウクライナはリヴィウの工場、キエフの工場が特に活発だった。バルト三国だけではまだ麦芽を使っていて、たとえば「センチュ」などの種類を生産していた。
ソ連全体においては唯一純粋麦芽の種類は「リジスコエ(※”リガの”の意)」だった。しかし1970年代あたりそのかわりに「スラビャンスコエ(※”スラブ”の)」の生産に切り替えようとしてた。

 

1960年代後半から注ぎ売りよりボトルのほうが増えて、賞味期限は7日間くらいだった。しかし実際は3日間ももたなかった。だが需要が高かったのですぐ売り切れていた。麦芽のGOST規格から「ジグリー」の麦芽が消えて、もともとあったウィーン風が完全に消えた。発酵期間も14日から11日間まで短くし、いろいろな麦芽以外の材料を入れるようになったので結局一番質の低い種類となった。
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1970~1990年代


70年代に「アドミラルテイスコエ」、「ドンスコエ・カザチエ(※”ドン川のコザック”の意)」、「ペトロフスコエ」、「大麦の穂」、「クリンスコエ」などの種類が現れて今でも生産されているものもある。「リュビテルスコエ」と「ストリチノエ」という種類が発酵し切る傾向を保っていた。


80年代に新しい種類が次々と現れて、1985年の反アルコールキャンペーンのおかげで逆に活気づけられ、90年に入ると特に多くなった。その時に現れたのは、「トヴェリ」、「チュヴァシの香味」、「ヴィチャジ」、「チェルニゴフ」など。1922年から1991年まで全体的に350種類くらいが生産された。

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サマラのジグリョフスコエビールを忘れている。
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Stalin174
今はこんな感じ。

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※左のラベル、Жигулёвское(ジグリ)をたたむとХуёвое(「質が悪い」の乱暴な言い方)と読める。

 

 


diversant66

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napalm2004
このラベルのビールが好きだったのに、工場がダメになって今作っているビールがくそまずい。
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echo3d
napalm2004
「LUX」は?

 

StanleyP
90年代はこのラベルのクリンスコエがおいしかった。

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StanleyP
前これがすきだった。

 今はもうだめだ、見るだけで泣きそうになる。

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echo3d
今はこれがお気に入り。

 モスクワビール工場がいいビールを作っていると思う。
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MrFeNiSt
ソ連のビールラベル集。ロシアも外国もある。

 ビール好きよ、懐かしんでください。

 俺はもう数年間ビールを飲んでいない。

 あの時と違うんだから。学生時代はこういうのたくさん飲んでた。

 http://www.nubo.ru/beervrn/Collect%20sssr.htm

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Аццкийинженер
おお、金曜日のいい記事だ!

 俺的には、これがソ連のビールに近いもの。

 ウリヤノフスク州のトリョフソセンスキー工場。

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Змеенов
若いころこの2種類が好きだった。

 「マルトフスコエ」と「バルハトノエ」。

 特にスモークされたおつまみに合ってたな。

 でも突然なくなって、最近また出たけど、味が全然違う。

 非常に残念。

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СвКоннектий
初めて飲んだビール。
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Dark5Messiah
こんなの覚えている人いるかな?
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CapNemo
友達がカザフスタンから「ヌルジャナル」というビールを持ってきてくれたけど、

 ソ連の味に似ている。賞味期限も2週間くらい。すごくおいしかった。

 あと、「カザフスタン」というタバコもごちそうになったが、昔の味に似ていてびっくりした。
近くで買えるのはベラルーシのビールだけだね。向こうのタバコが売っていなくて残念。

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usr80
初めての缶ビール。

 Beryozkiで売ってたが、オリンピックの前に普通の店でも売れるようになった。

 ブリキ製で、ビールがさびた味していた。

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RecRec
リャザニのビールも悪くないと思うよ。ジグリ。

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RecRec
リャザニのHMELEFF。
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RecRec
リャザニの濾過されていないビール。
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МакаронОФФ
-_-
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joker53
こちらはソ連以前のビール。ロシア帝国時代のもの。

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